衆議院議員に重用され、立場を獲得
昭和24年6月9日生まれ。茨城県龍ヶ崎市出身。大学中退。罰金前科一犯。これが法廷で明らかにされた川北恵一郎の素性だ。身長160cmに満たない小柄な体躯は、「裏の支配者」のイメージとは程遠かった。
そんな川北が、龍ケ崎市役所を牛耳るまでに至ったいきさつについて、地元政界の関係者はこう話す。
「今から40年ほど前のこと、川北はある有力市議のカバン持ちをやっていたんです。この市議は、現市長の父親で、宮沢改造内閣で防衛庁長官も務めた中山利生衆議院議員(当時)の金庫番だった人物。そうした繋がりで、やがて川北は利生の信頼を獲得し、集票活動などで重用されるようになっていった。当時は普通でも今だと一発で捕まるような汚れ仕事をずいぶんやっていたようです。川北が社協に入ったのは30年ほど前のことですが、それも利生氏の口添えがあったからと聞いています」
その利生氏は2004年に亡くなったが、川北はその後、息子である一生の選挙参謀となったという。
「一生が市長になれたのはおろか、特になんの成果もあげていないのに3選もできたのは、『裏選対』と呼ばれた川北の力添えがあってこそ。市長も就任当初から、足場固めを川北に一任していた。例えば、今回の談合事件で逮捕された元副市長の川村光男は、2009年の市長選では対立候補の陣営にいて政策立案なども担当するキレモノ職員だった。それを副市長の椅子を与えると言って引き抜くことで、中山市政の盤石化と敵対勢力の弱体化を図ったのも川北のアイディアだった。票田である建設業界との関係構築にも、川北が暗躍した。彼に見捨てられたら市長を続けられない一生は、川北に何でも好きなようにさせていた。一方の川北は市長のことは人前でも『かずおちゃん』と呼び、自分の立場が上であることを見せつけていた」(同前)
「妻子に何かされるのではという恐怖は今でも持っている」
市長でさえ頭の上がらない川北に、市役所職員が異を唱えることなどできたはずがない。さらに職員らが抱く恐れは、川北の政治的権力の大きさだけではなかったようだ。
「妻子に何かされるのではという恐怖は今でも持っている」
談合事件で在宅起訴された元職員は、法廷でそう漏らしている。
川北が家族に身体的な危害を加えるのではないかと、事件摘発後の今なお怯えているというのだ。
龍ケ崎市内では、「暴力団と関係があるらしい」、「過去に人を刺したことがあるらしい」など、川北に関する物騒な噂をいくつも耳にした。川北を取材しているという筆者に、「気を付けたほうがいい」と、真顔で忠告する人もいた。こうした噂話の真偽はともかく、彼が地元で漠然とした恐怖の対象となっていたことは確かだろう。