日本に帰ってきたとき、赴任先は大阪本社だったのだが、道頓堀の商店街を歩いたとき、スマホをいじりながら通り過ぎる若者や無防備の女性たちを見て、「このギャップはなんだろうか」と真剣に考えた。店の入口に商品を置くドラッグストアや、深夜遅くまで営業している飲食店を見て、冗談ではなく「これがリオなら多くの店が被害にあっているな」としみじみ思ったものだ。
五輪は先進国のためのものではない
そんなリオやソチの暮らしぶりを友人・知人らに報告すると、多くの人から「なぜそんな所が五輪の開催都市に選ばれたのか?」と聞かれた。日本の庶民感覚からすると当然の質問だと思う。ただ、私は五輪の意義を直に味わった経験をふまえ、こう答えた。
「その感覚は、先進国で安全な国に住む人たちのエゴなんです。五輪は先進国のためのものではない。リオは確かに治安は悪かったけれど、五輪がもたらすスポーツの力で街が再生した。五輪期間中は一時でもみんながスポーツを楽しみ、平和のありがたさを体感していた」
私は、リオ五輪でサッカーのブラジル代表が最後に優勝して、この逆境に苦しむ多くの市民が喜びを爆発させ、街が歓喜に沸いたあの風景を忘れることができない。ファベーラの子供たちに希望をもたらした金メダルだったことは疑いの余地はない。
誤解を恐れずに言えば、今の日本はコロナ禍であっても、アスリートにとって、当時のソチ、リオよりも数字の桁が違うほど安全、安心だと私は思っている。もちろん、コロナは命を奪う恐ろしい感染症だ。ただ、どんな大会であっても、そうした逆境を乗り越えて、100年以上も開催されてきた経緯を忘れてはならないだろう。
中止か、開催か――、日本は揺れている。この東京で徹底的にさまざまな観点から話し合い、その議論の結果を残すことこそが、21世紀の世界に伝えるレガシーなのではないだろうか。