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「服を全部脱ぐよう命じられた」ソチでは日本人が容疑者扱い 知っておくべき“五輪とテロ”の現実

「服を全部脱ぐよう命じられた」ソチでは日本人が容疑者扱い 知っておくべき“五輪とテロ”の現実

ソチ、リオ五輪“対テロ”体験記

2021/06/09
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 東京五輪開幕日まで残り50日を切った。菅政権は「安心、安全な大会の実現」を訴え、新型コロナウイルスの感染拡大阻止に躍起になっている。しかし、過去の五輪パラリンピックにおいて、完全に安心、安全な環境が整備された大会が実現したことはあったのだろうか? 平和の祭典であるはずの五輪は常にリスクに直面し、開催国が国際的な協力を得て、被害を軽減してきたのが実情である。

菅義偉首相 ©文藝春秋

選手村が襲撃され、選手・コーチ・警官が死亡したミュンヘン大会

 1972年ミュンヘン五輪では選手村が襲撃され、選手・コーチ、警官らが死亡。1996年のアトランタ五輪では、開催中に会場近くの公園が爆破され、多数の死傷者が出ている。他の大会でも、治安当局が公表していない、多くの犠牲者が出かねなかった紙一重の場面もあったに違いない。

ドイツ・ミュンヘンのオリンピアパーク ©️iStock.com

 私が新聞社から現地に派遣された2014年ソチ五輪、2016年リオデジャネイロ五輪のケースに限ってみても、開催直前に近隣都市での爆破テロ事件が発生したり、開催自治体の財政が危機的状態に陥って都市機能が麻痺したりして、多くの市民が危険な状況にあった。

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 世界が注目する五輪は、あらゆる意味でターゲットになる。ソチ五輪フィギュアスケート女子の浅田真央の涙のフリーも、リオ五輪陸上男子の400メートルリレーでの日本銀メダル獲得の快挙も、薄氷の安全の上に成り立っていた。もし中止されていれば、今後、何十年も語り継がれるあの感動のシーンは、存在しえなかった。

 当時、ロシア、ブラジルの駐在特派員だった私の大きな仕事の1つは、大会期間中に東京・大阪の本社から派遣される取材団全員の安全を守ることだった。取材団の中には女性記者も多かった。そのために、治安情報のネットワークを張り巡らし、有事が発生した場合にはいかに全員を無事に帰国させるかについて、常に気を揉んでいた。

浅田真央選手 ソチ五輪フィギュアスケートフリーの演技を終えた直後 ©JMPA

武装勢力が「どんな手段を使ってもソチ五輪を阻止する」と宣言

 2014年2月に開催されたソチ五輪では、イスラム過激派の脅威にさらされていた。黒海東沿岸に位置するリゾート地ソチは、過激派が根城にしていた北コーカサス地域に隣接している。開催7カ月前に独立派武装勢力の指導者が「どんな手段を使ってでもソチ五輪を阻止する」と宣言し、以来、ソチの近隣地域で自爆テロが相次ぐようになる。

 ソチから約700キロ離れたロシア南部の要衝都市ボルゴグラードでは、開催40日前の2013年12月末、2日続いて50人以上が死傷する連続爆破事件が発生した。実行グループは厳重警戒をかいくぐって、自爆テロを決行していた。

 開催3週間前にはこの連続自爆テロの犯行声明がネット上に公開された。「(ソチ五輪に来る)旅行者にもプレゼントがあるだろう」と警告され、国際オリンピック委員会(IOC)や各国のオリンピック委員会(NOC)にも届くようになった。