7月6日の阪神戦で問題となった阪神・近本光司の打者・佐藤輝明へのコース伝達疑惑。
2塁走者の近本が左手を水平に何度か上げ下げした“仕草”が、投手の投げるコースを打者に伝達していたのではないかと、ヤクルトの三塁手・村上宗隆がアピールし、試合が中断したシーン。
阪神・矢野燿大監督、井上一樹ヘッドコーチらが、村上やヤクルトベンチに怒号を飛ばしたことに対して、阪神首脳陣への批判や擁護、村上への称賛、意見等、さまざまな反応がありました。
もちろん、あの怒号は21歳の選手に対して言うものではなかったかもしれません。
しかし私は、逆にあそこまで厳しい口調で言い返せたということは「自分たちのチームの選手は絶対に、神に誓ってそんな不正はしていない!」というぐらい100%の自信があったからこそ出た言葉だったのではないかと思いますし、あれが恫喝であったかどうかは、言われた村上がどう感じたかによって決めれば良いことですし、怒りのポイントも人それぞれ。
矢野監督にとってはそういう「ズルをしている」みたいなことを言われるのが逆鱗に触れる事だったかもしれないし、毎日が真剣勝負というなかで感情があれぐらい高ぶることもあるでしょう。
「感情」と「事実」を整理する
現にあの近本の左腕の動きはヤクルト田口麗斗投手の顔が自分に向いた時の動きと合っていたので、ピッチャーの気を自分に引くための動作にも見えます。
村上が阪神ベンチに向かって敬語を使っていたということも、抗議とはいえ年上の人に対する言葉使いとしては概ね当たり前のことであり、特別称賛されるようなものではない。
もちろん、これらは私が思う個人的な【感情】です。
「あんなに激昂するのはやっていたからに他ならない」
「あんな怒り方をする矢野監督は監督の器ではない」
「村上カッコよかった」
「あれはコース伝達だった」
「去年の記者席との一件含め、近本はクロだ」
「ただの言いがかりだ」
「アマチュア時代からの近本のクセだ」
「サインを盗む技術があれば15年間優勝しないことなんて起きない」
などなど、この一件で私を含め、みなさんそれぞれが思うさまざまな【感情】に対しての正解など、ある訳がありません。
そんなもの、キリがないですから。
しかし、あの近本の行為が禁止されている「打者への伝達行為」となる疑わしいプレーだとして村上が審判に抗議したこと。
これは紛れもない【事実】です。
この抗議があったという【事実】に対して当事者はそれに応ずる【義務】があります。
その抗議が受け入れられるものなのか、受け入れられないものなのか。
翌7日、プロ野球セ・リーグの杵渕和秀統括は阪神球団に注意をしたことを明らかにし、矢野監督は選手に注意喚起する意向を伝え、ヤクルトは意見書の提出をしませんでした。
そしてその日の試合、近本は2塁塁上で両手を膝の上に置くなどして、紛らわしい動作は一切なかった。
これらは全て【事実】です。
この【事実】が示しているのは、あの動作は「打者への伝達動作ではなかったと思うが、そう疑われても仕方がない紛らわしい行為」であり、村上の抗議は正当性があり、阪神側がその抗議を受け入れたということ。
つまり、日本のプロ野球界が一つクリーンになったということです。
当たり前の話ですが、この一件で村上が誰かに責められるようなことがあっては絶対ならないですし、これに関するヤジなども、もちろん許されるものではない。