――4畳半1間に2人。狭くはなかったですか?
(A) いえ。トキワ荘では僕と藤本氏が窓際に机を2つ並べてたんですけど、疲れてそのまま仰向けで倒れても、ちゃんと頭の上に余白ができました。それまで住んでいた両国の下宿は2畳だったので、描いている時に背中がぴったり壁にくっついていて、倒れることすらできなかったんです。だから、トキワ荘に引っ越したとき、藤本氏と言ってましたよ。「僕たち出世したなあ」って(笑)。
トキワ荘の入居希望者を選別していた
――当時トキワ荘に住んでいたのは、リーダー格で「新漫画党」総裁の寺田ヒロオをはじめ、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、森安なおやといった若き漫画家たちです。
(A) 夏なんかね、石ノ森氏と赤塚氏が、暑いからって共同炊事場で裸になって水浴びしてるんですよ。夜中に。彼らに限らず個性的な連中ばかりでね。僕から言わせると、僕以外はみんな天才でした。実は当時、トキワ荘に入居を希望する漫画家は山のようにいたんですけど、テラさん(寺田ヒロオ)と僕と藤本氏で、入居者を選別していたんですよ。
――選別ですか。
(A) すごく偉そうな話だけど「素晴らしい作品を描いている人でも、この作風は僕らには合わないな」とか言って、はねてたんです。結果、天才的に個性の強い人ばかり集まりましたが、テラさんがいることで、ちゃんとまとまるんです。テラさんは僕と3つしか歳が違わないのに、すごくしっかりしていて、落ち着いていました。トキワ荘の漫画家たちは、テラさんを父親とする兄弟みたいなもの。そのテラさんが、「チューダーパーティー」というのを、よく部屋でやってくれました。
赤塚不二夫は下戸だった!?
――トキワ荘ファンにはおなじみの、焼酎のサイダー割り。“チューダー”ですね。
(A) ただ、元会社員のテラさんや、新聞社に勤めた経験のある僕は酒を飲めたけど、他のみんなは高校を卒業してすぐ上京してるから、お酒なんて飲む暇もなかったし、飲めないんですよ。だからサイダーに焼酎を2、3滴たらすだけ。赤塚氏だって、後年は大変な酒豪になったけど、あの時は一滴も飲めなかった。おつまみは、テラさんがキャベツ炒めを作ってくれましたね。
――個性的で野心にあふれる同業者同士、四六時中アパートで一緒にいるわけですから、衝突も多かったのでは?
(A) それが、一度もけんかになったことがないんですよ。ライバル同士なのは間違いないんだけどね。たとえば石ノ森氏が、僕らが考えもつかないようなすごい漫画を描いてヒットさせて、売れっ子になる。それを見たら、普通ならジェラシーを感じるじゃないですか。でもトキワ荘の仲間たちの間に、そういう感情は一切生まれなかった。むしろ、石ノ森がこんなすごいものを描くなら、俺たちもがんばらなきゃ、もっとすごいのを描こうじゃないかって。