昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/06/28

genre : ライフ, 歴史, , 社会

1960年代後半に開発がはじまった日本最大級のニュータウン

 多摩センターの駅は南に向けてひらけている。高架下、といってもかなり高架なので、地上よりは1フロアくらい高い場所にある改札前のコンコースから南に出ると、階段を少し登った先にまっすぐに伸びる大通り。この通りの両脇には大きなビルに商業施設が入っていて、駅前を歩く人もなかなか多くにぎやかだ。

 大通りの下にはバスのりばがあり、そこから多摩ニュータウンの各地へと路線バスが次々と出発していく。まさに、多摩センターは多摩ニュータウンの中心なのだ。

 

 多摩ニュータウンは、1960年代後半に開発がはじまった日本最大級のニュータウンである。高度経済成長期、急増する人口の受け皿として、東京都や住宅・都市整備公団などが中心となって計画された。中心にあるのは多摩市で、東は稲城市、西は八王子市にまで広がっている。丘陵地の元農村を開発したため、起伏に富んでいるのも特徴で、標高は低いところで40m、高いところで170m。まさに丘の上に設けられたマンモス住宅地というわけだ。

1974年に京王、1975年に小田急の駅が開業

 そしてこのニュータウンのアクセスのためにやってきたのが京王線と小田急線。1974年に京王、1975年に小田急の多摩センター駅が開業している。文字通り、“多摩ニュータウンの真ん中”という意味を込めての多摩センター。駅のまわりに商業施設が集まっているのは、ニュータウンの中心として“商業地”の役割を与えられたからなのだろう。

 とにもかくにもにぎやかで人が多いのも当然のこと。多摩センターは多摩ニュータウンの中心であると同時に、外からニュータウンにやってきた人にとって玄関口としての役割も持つ。

1979年の「多摩センター」(国土地理院の空中写真より)
1989年の「多摩センター」(国土地理院の空中写真より)

そびえ立つ「パルテノン多摩」

 で、だからなのかはわからないが、多摩センター駅の前の目抜き通りを南にまっすぐに歩いていくと、パルテノン多摩がある。駅前の大通りも「パルテノン大通り」と名乗る。正しくは多摩市立複合文化施設というらしいが、劇場やコンサートホールからなる文化施設。今は改装中で全面休館しているので姿を見ることができなかったが、まるでホンモノのパルテノン神殿のように丘の上に堂々とそびえている。

 
 

 パルテノンといえば古代ギリシャで女神アテーナを祀ったアクロポリスの神殿だ。多摩センターや多摩ニュータウンがいったいどうしてパルテノンなのか。ギリシャと秘めたる関わりがあるのか。青森県にキリストの墓があるくらいだから、意外なつながりがあっても驚くことではない。パルテノン神殿が建てられたころの多摩センターは弥生時代。このあたりには旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡が見つかっているが、さすがにちょっとつながりを見出すのは無理がありそうだ。

 オチを明かせば建物の外観がパルテノン神殿に似ていることからと公募によって名付けられたという。だから古代ギリシャとの直接的なつながりはない。ただ、ホンモノのパルテノン神殿がそうであるように、多摩センターのパルテノンも町のシンボルとして堂々たる存在であることだけは間違いのないところだ。