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ルームシェアは「良い影響があった」

 シェアハウスが本格的に普及したのは2000年代に入ってから。2012年発刊の書籍『ルームシェア』(宝島社)には、首都圏でのシェアハウス状況(参照:「ひつじ不動産」シェア住居統計資料)として「2000年に25軒だったものが、2005年には118軒。その後、2007年には259軒、2008年には381軒と増加の一途をたどり、2012年現在では1100軒は下らないという。2005年前後に数が急増した後も、増加幅は加速する一方のようだ」と記されている。

「ルームシェア経験が現職に就く良いきっかけになった」と話すのは、WEBメディアに勤務する川井美波さんだ。大阪・梅田近辺という好立地で1人6万5000円(光熱費込)を支払い、6人でルームシェアをしていた川井さん。同居人は、起業を目指す大学生や公務員、路上演奏の歌手など。「エンタメメディアの編集者になりたい」という目標を持っていた川井さんは、共有スペースで同居人とあつまっては「やりたいことがあったら、やったほうが良い」と意識を高め合っていたそうだ。

 夜中の電話や恋人の訪問などによる喋り声のストレスが多少あったようだが、しかし新型コロナの感染が広がって友人と会えなくなった時期、自宅で気軽に話ができる仲間たちの存在は「良い影響があった」と川井さんは話す。

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「家に相方がいたら気がまぎれる」

 お笑いの世界では、ルームシェアが本格的に普及するずっと前から、珍しい暮らし方ではなかった。稼ぎが少ない若手時代は家賃を安くおさえるため、他芸人と同居生活を送っていた。たとえばサンドウィッチマンは、『M-1グランプリ2007』で優勝後の2008年まで10年間、同居生活を送っていた。

サンドウィッチマン・伊達みきお氏

 サンドウィッチマンの著書『復活力』(幻冬舎)では、ルームシェア時代の様子が細かに記されている。同居当初はフリーで活動し、芸人収入がほぼゼロの貧乏生活。同書内で伊達みきおは「富澤とふたりで暮らしていることで、精神的に助けられた」「家の中に、とりあえずしゃべる相手がいるって環境は、そこそこ気がまぎれる」とし、富澤たけしも「外で嫌なことがあっても、家に相方がいたら気がまぎれる。精神的なトゲトゲが、家に誰かひとりいるだけで緩和されるんだ」と相方が心の支えになっていたことを明かしている。