古典の教科書では句読点と濁点を打って読みやすくしていますが、原文はこんな感じでした。現代の人々がLINEでテンを打たないのは、古典の方式に立ち返ったのだと考えることもできます。
句読点の定着までにはいろいろ試行錯誤がありましたが、現在のように広く定着したのは、実に20世紀に入ってからです。学校教育で句読点を教えるようになり、人々は自分で文章を書くときにもテンとマルを使うようになりました。
初期の教科書を見ると、今よりも若干テンが多い印象を受けます。それが、何年も経たないうちにこなれてきたというか、現在とさほど変わらない感じになりました。したがって、昔の教育を受けたからテンが多い文章を書くとか、今の教育を受けたからテンが少ないとか、そういうことはなさそうです。
本多勝一さんの「2大原則」
日本語の文章で句読点を打つ習慣は定着しましたが、理想的なテンの打ち方については、学校教育が始まって100年以上経っても、いまだに共通理解がありません。多くの人は、なんとなく一息入れたいところでテンを打つ、というのが実情でしょう。
1906年に「句読法案」、戦後の1946年に「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」というのが出ています。でも、これはテンを打つルールをずらずら多く箇条書きにしたものです。一般の人々がこれを覚えて使うには、高いハードルがあります。
そんな中、ジャーナリストの本多勝一さんが提唱したテンの打ち方は画期的でした。本多さんは〈長い修飾語が二つ以上あるときその境界にテンをうつ〉〈語順が逆になったときにテンを打つ〉という2大原則を立てました。詳細は『〈新版〉日本語の作文技術』『〈新版〉実戦・日本語の作文技術』(ともに朝日文庫)にまとめられています。この原則に従えば、必要なテンは打てるという趣旨のことを、本多さんは述べています。
この原則は記憶しやすく、私も影響を受けました。ただ、私自身は、これとはちょっと違う原理に基づいてテンを打っているような気もします。
私の「テンの打ち方2か条」
私なりのテンの打ち方を、本多さんにならって2か条にまとめると、こんな感じでしょうか。
第1条・「出来事」と「出来事」の間に打つ。
テンとは何のために打つのか、根本のところを考えてみると、要するに、話が次に進んでいる(論理が展開している)ことを表すために打つのです。話というものは、複数の出来事がつながってできています。その出来事と出来事の切れ目にテンを打てばいいのです。