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ジャスティン・リン監督の決意

 ハンが登場する3作目から彼が死ぬ6作目までを手がけたジャスティン・リン監督も、この運動を受けて、自分が不在だった7作目以降の展開は、たしかにハンにとって正しくないと感じるようになった。自分が監督に返り咲く9作目でハンを連れ戻そうと決めたのも、彼だ。

「『本当にやるよ』と、ジャスティンが僕に電話をくれたんだよ。どうやってやるのかは聞かなかった。その心配はないから。僕はただ、脚本を読むのを楽しみにしていただけだ。ジャスティンは、あのキャラクターを誰よりも大切に扱ってくれる。ハンが生まれた時からジャスティンはそばにいたんだ。ハンは、僕にとってよりもジャスティンにとってのほうが強い意味をもつと言ってもいいかもしれない」

 カンの言うことはもっともだ。実は、ハンは「~TOKYO DRIFT」より前にリンが監督したインディーズ映画「Better Luck Tomorrow」(2002年、日本未公開)で初登場しているのである。アジア系アメリカ人の高校生が悪いことに手を染めていくこの映画をリンが作ろうとした時、登場人物を全部白人にすればお金を出してあげると言ってきた人がいた。それを拒否したリンは、クレジットカードを限度額まで使って、自分が望む通りの映画を作り上げたのだ。そうやって完成した映画はサンダンス映画祭で上映され、インディペンデント・スピリット賞にもノミネートされた。そこから「~TOKYO DRIFT」を監督しないかと声がかかったのである。

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「ミナリ」「クレイジー・リッチ!」などが成功する時代になった今でも、全キャストがアジア系の映画はハリウッドで稀。2002年にそれをやった時、カンは、「すごく孤独に感じていた」という。

「僕らはすごく大胆でクレイジーなことをしたんだ。僕らには何もなかった。フィルムすらまともになかったんだよ。そういう苦労を体験したからこそ、今に感謝できる。ジャスティンと一緒にこの道のりを辿ってこられたことに感激するよ。アジア系俳優にとっての状況は、『Better Luck Tomorrow』の頃よりだいぶ良くなった。ジャスティンによると、あの頃、オーディションにやってくるアジア系俳優はみんなびくびくしていたらしい。彼らにとってはそれが1年で唯一のオーディションだから。でも、今の世代の俳優はすごく堂々としていて自信があるらしいよ。それが僕に希望をくれる」