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前作への愛のあるオマージュはどこにあるか? 

 その金字塔でありアンタッチャブルである『ブレードランナー』の続編をつくるという、無謀とも思える試みが『ブレードランナー2049』だった。

 プロットや語り口は前作と同様、ノワールやハードボイルドのそれであり、テーマもまた、現実と虚構(造られたもの)との関係を考察する哲学的なものだ。30年という作中での時間経過をうまく処理するための設定など、前作との地続き感を演出する工夫も随所になされている。

 前作同様に本作も携帯端末が存在しない世界(ヒトゲノムは解析されている)であり、アタリ社やパンナムなどが存続し、モニターもブラウン管、キーボードもアナログ風だったり、ロサンゼルスで話される言語が複数入り乱れている描写などの細部や、独特のライティングなど、前作の雰囲気を引きついで、“ブレードランナー2019”の世界を構築している。

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『ブレードランナー2049』より

 また、前作への愛のあるオマージュも溢れている。デッカード、レイチェル、ガフなどのキャラクター、折り紙、2Dの写真、ロサンゼルスに降る雪、キャラクターのセリフ、涙、ファッションなど、これらのキーワードを並べただけで、ファンが歓喜する要素が満載だ。

 しかし、前作から引き継いだSF的なガジェットの描写は抑えられている。スピナーもブラスターも頻繁に登場するが、いずれも引きのカットや極端な寄りのカット、もしくは夜や霧や水しぶきに隠されてディテールが見えない。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの作風とは何か

 その一方で、映画の空気感は、監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ独自のものだ。

 私が最初に観た彼の作品は『プリズナーズ』だった。たちまちその才能に惚れ、『灼熱の魂』『静かなる叫び』と過去作に遡り、『複製された男』『ボーダーライン』『メッセージ』と新作が公開されるたびにいち早く鑑賞した。どれも外れがない傑作揃いであると同時に、扱う題材やジャンルの幅広さも普通の監督とは違う。近作の『ボーダーライン』や『メッセージ』のイメージだと、アクションやSFといったジャンル映画の監督と思われるかもしれないが、彼は一貫して人間ドラマを描いている。『プリズナーズ』以降の作品では脚本を書いていないにもかかわらず、独自の作家性を貫いている。

 彼は遠景と人間の表情(近景)の対比によって世界全体を見せる。俯瞰や引いたカメラで風景を見せ、そこにいる人間の表情や、感情を見せる。

 大きな世界の中にいる小さな人間には、そこを支配する法則を全て把握することはできない。そこで生きて日常を過ごす人間のドラマが、ドゥニ・ヴィルヌーヴの作家性だと言えるだろう。