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「ダウンタウン全盛期は自分のことで一杯一杯で…」東京の全レギュラーを失って関西に戻った芸人・森脇健児の“本音”

森脇健児インタビュー#2

2021/07/17
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「『夢MORI』は“テレビタレント”としてやろうと」

〈お笑いとジャニーズのイメージが変わった1990年代。SMAPの『夢がMORIMORI』(フジ系)を皮切りに、ジャニーズアイドルがバラエティ進出を果たした一方で、お笑いにダンスを取り入れた、ナインティナイン、雨上がり決死隊らの若手芸人ユニット「吉本印天然素材」が支持された時代でもあった〉

――1990年代初頭は、芸人のアイドル化とジャニーズのバラエティタレント化が交錯した時代でもありましたよね。

森脇 芸人のアイドル化で言うと、僕が関西で『ざまぁKANKAN!』(読売テレビ)をやってる頃、女子中高生たちのワーキャーの対象は光GENJIを中心とするジャニーズのメンバーだったんです。ただ当時、関西を拠点にしていたジャニーズはいなかった。KinKi Kidsとかが出てくる前でしたし。それで、関西では20代の芸人たちがワーキャーの対象になってたんだと思います。今もそういうワーキャーされる芸人って一部ではいるでしょうけど、あの頃のような大きなうねりはないですからね。

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――『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)が放送されたのは、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさん、野沢直子さんが共演した『夢で逢えたら』(フジテレビ系、1988~91年)をやっていた番組枠です。伝説的な番組として知られていますが、プレッシャーはありましたか?

森脇 そら、もうお化け番組でしたからね。当然プレッシャーはありましたけど、深く考えてもしょうがないのでスタッフに身を預けました。僕自身の意識としては“芸人”というよりも、“テレビタレント”としてやろうと。森口(博子)さんとSMAPとやるとなった時点で、そういうことだと思いましたから。ずっと続けている京都のラジオ番組では昔ながらのしゃべりをやりつつ、箱根の山を越えたら、違う意識になっていましたね。

――森脇さんは、いわば「関西の色」を消して東京の番組に挑んでいたわけですが、一方で当時人気が沸騰し始めていたダウンタウンは関西の色を打ち出して支持されました。芸人として、思うところはありましたか?

森脇 ダウンタウンさん全盛の頃には、「自分のことで一杯一杯」になっていた気がします。それで、個人的にボクシング企画(#1参照)をやったりする中で、『筋肉番付』(TBS系)のようなスポーツバラエティが出てくるんですよね。だから、僕はそっちのほうで自分を出していくしか生き残る道はないな、っていう気持ちはありました。

2019年には『オールスター感謝祭』のマラソン企画で3度目の優勝を果たした(所属事務所提供)

 ダウンタウンさんはデビューした当時から「天才」としか思ってないです。僕が17、8歳の時からテレビで見てますからね。フジテレビの番組で共演させてもらったこともありますけど、邪魔しないように必死でしたよ(笑)。