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「ダウンタウン全盛期は自分のことで一杯一杯で…」東京の全レギュラーを失って関西に戻った芸人・森脇健児の“本音”

森脇健児インタビュー#2

2021/07/17
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「おもしろくない」と名指しで批判され……

〈『8時だョ!全員集合』(TBS系)、『オレたちひょうきん族』、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(いずれもフジテレビ系)といった日本のバラエティ史の流れを変えたのが、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)だ。1991年12月にスタートした同番組は、関西の色だけでなくダウンタウンの独自性を打ち出して、カリスマ的な人気を博すことになる〉

ダウンタウン ©文藝春秋

――『笑っていいとも!』のレギュラー出演時、タモリさんから「広く浅くだよ」とアドバイスされたそうですね。ただ、それをいざ体現するとなるとなかなか難しい気もします。

森脇 今振り返ってわかるのは、タモリさんのすごさって“スタッフと闘ってない”ってことなんですよね。毎日のことやから、日々スタッフがタモリさんに「この企画やりましょう」って言ってくるんですけど、僕が横で見ていても、タモリさんは「わかったよ、やるよ」ってすべて受け入れていたんです。やってみたうえで、「結果の判断はそっちが下してください」みたいな対応なんですよね。

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 これが関西なら、「そんなんでけへんわ!」とか、芸人が判断するスタンスが“格好ええ”とされる。そういう環境で僕は育ってきたから、タモリさんとの仕事はすごく勉強になりました。三宅裕司さんやタモリさんのような大物タレントさんから得たものは、関西で活動する今でも生きています。30年前の関西の仕事のやり方しか知らなかったら、もっと早くに僕はつぶれてたと思いますよ。

――関西で活動していた若手時代は「自分が一番面白い」という意識があったと思います。そこから「アスリート芸人」へとシフトしていく中で、葛藤はありませんでしたか?

森脇 おもろいコントや漫才を作ることを、僕はやってきていませんから……。毎週京都でラジオをやってたんで、そのためにネタ作ることはやってましたけど、舞台はやってませんからね。だから、「自分が一番おもろい」とかいうよりも、「どうやってこの世界で残っていくねん」ってトコでしょうね。とくに関西に帰ってきてから、考え方もどんどん変わっていきました。

――当時のバラエティ番組では、ほかの芸人が森脇さんのことを「おもしろくない」などと名指しで批判することもありました。失礼な質問かもしれませんが、こうした発言を森脇さんはどう感じていたんですか?

森脇 どう感じてた言うても……。当時は誰が何を言ったってことより、僕は芸能界という魑魅魍魎の世界に生き残ることで必死でしたから。今も「何がおもろいんや」っていう悪口やら何やらありますけど、ホンマに名前を言うてもらえるだけでありがたい。名前を言うてもらえるってことは、存在があるってことですから。