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「おぉ……」

 打球がスタンドに突き刺さると同時に山本浩二の声にならない声がかすかに聞こえる。満員のスタンドは総立ち、ドームの天井まで突き抜けるかのような大歓声。

 ダイヤモンドを1周してベンチへ戻ると長嶋茂雄が帽子をとり、お辞儀をして出迎える。

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「恐れ入りやしたの、長嶋監督!!」

 興奮した時に出る吉田填一郎の新たな名フレーズが炸裂した。

「あの……寒気しますね、あれだけあの~下からバットが出てホームランって考えられないですよね」

 珍しく感情的なことを話す江川卓がいる。

「いや、だけどこれが4番じゃないですか」

 山本浩二も心の中で脱帽している。

 リプレイが流れた、打球を見上げながら1塁へ向かう落合の背中は「行け」と叫んでいる。そして1塁ベース手前で確かにガッツポーズをした、いや、してしまうしかなかったのかも知れない。そしてベンチを覗くと同じように鬼のような表情で拳を握り締める長嶋茂雄がいた。

1994/10/2 ホームランを放った落合博満と喜ぶ中畑清

世界で一番カッコ良かったガッツポーズ

 とても便利な世の中だ。だから皆がスマートだ。いちどキャラを固めてしまえば、そのキャラを貫いていくほうがやりやすい。

 けれども、そのスマートさはあの時の落合のホームランにはまるで無かった。球場では声援を送られ、テレビの前では視線が注がれ、マスコミには叩かれ、古巣の球団からは批判され、放送席では無理じゃないかと言われ、そしてバッターボックスで追い詰められた時、長嶋茂雄に見つめられている。そんな想像を絶する周囲からの目線に対してフルスイングをした覚悟のホームラン。ひょっとすると落合があの時フルスイングしたのは、落合自身と長嶋監督以外の全ての人達へ向けてだったのかも知れない。

 ガッツポーズは右手を高々と上げるものだと思っていた。けど、世界で一番カッコ良かったガッツポーズはそうではない。まず右手を強く握り締める、その後軽く持ち上げる、そしてすぐにダイヤモンドへ叩きつけるように振り下ろす、けっして右手は高く上げない。

 クールな人間が感情を露にした瞬間、いつもガッツポーズをしない人がついしてしまった、いや、するしかなかった瞬間、ガッツポーズが似合う人の条件はキャラではなく、正念場での想像もできないような大きな覚悟と執念だったと気付かされた瞬間。

 1994年10月2日(日)、第14号ホームランを放った際の落合博満はとてつもなくスリリングだった。そして、あれ以上ガッツポーズが似合う男の背中を僕はまだ見たことがない。

 綱渡りのタイトロープを渡りきった時、スーパースターは最高のガッツポーズを見せてくれる。

 それがたとえどんなキャラの男であっても。

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