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日本ハム・近藤健介が野球の“国際大会”に向いているこれだけの理由

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/07/27

 あす28日、東京五輪の野球競技が開幕する。首都どころか、日本中でコロナ禍の収まらない中での開催には思うところもあるが、いざ代表のメンバーが出てくればいろいろ妄想を膨らませてしまうのが野球ファンの性だ。東京五輪には開催国の日本のほか、韓国、メキシコ、アメリカ、ドミニカ、イスラエルの6カ国が参加。大リーガーの参戦こそないものの、世界一の座をかけて争う。台湾やオーストラリアといった、かつての五輪で日本の前に立ちはだかった国が、コロナの感染拡大を鑑みて世界最終予選への参加を辞退したのは本当に残念だった。

 日本代表「侍ジャパン」は、稲葉篤紀監督をはじめ金子誠、建山義紀の両コーチがベンチに並ぶファイターズ色の濃いチーム。そして選手では近藤健介外野手と、伊藤大海投手が名を連ねた。今回取り上げるのは近藤だ。なぜなら、この舞台のためとでも言いたくなるような経験を重ねてきた選手なのだ。

近藤健介

一歩ずつステップを踏んで五輪にたどり着いた選手

 あれは、近藤が2年目を迎えた2013年のキャンプだったか。ある日の練習試合を終え、宿舎に向かうところで聞いたことがある。「今日の試合、相手のショートを守っていた選手に見覚えはない?」。近藤は考えることもなく、即答だった。「ありますよ。ハ・ジュソクでしょ」。試合の相手は韓国ハンファ。ショートに立っていたのは、近藤と同学年でU-18韓国代表の主力をつとめ、ドラフト1位でプロ入りしたエリートだった。

 ひと昔前なら、こんな問答は成り立たなかっただろう。プロ野球選手の意識が、米大リーグ以外の「国際野球」に向いていることなどなかったからだ。野球は2008年の北京大会を最後に五輪種目から外れる一方、その他の国際大会は90年代後半から明らかに増えた。かつては日米大学野球選手権と、社会人選手が主力となるワールドカップくらいだったのが、いわゆる侍ジャパンにアンダー世代のカテゴリが生まれ、若いうちから世界に出る機会が増えた。選手は世界の同世代にどんな才能がいて、どんな特徴を持っているのか頭に入るようになっていった。

 近藤がハ・ジュソクを知っていたのは、横浜高3年だった2011年のアジアAAA選手権で対戦したからだ。慣れ親しんだ横浜スタジアムで開かれたこの大会、近藤は日本の正捕手としてチームを優勝に導いた。韓国の中心選手の名前や特徴は、もちろん何度もミーティングで上がったことだろう。

 プロ入り後も、近藤はすぐに日本代表入りした。プロ3年目の2014年オフに台湾で開催されたU-21ワールドカップでは、初めてこの世代で結成された日本代表に選出、日本ハムでは守ることがなかった一塁手として広島・鈴木誠也とクリーンアップに並んだ。大会中の近藤は打撃不振に苦しみ、日本も決勝で王柏融のいた台湾に敗れ、準優勝に終わった。想像だが、審判、ボール、環境と何もかもが違う舞台で、感覚や常識の違いを感じたのではないだろうか。その後、2017年にはU-24縛りの日本代表入りし、アジアプロ野球チャンピオンシップを制覇、2019年のプレミア12では“フル代表”入りし優勝に貢献した。世代別に日本代表がきめ細かく編成されるようになってから、一歩ずつステップを踏んで五輪にたどり着いた選手は近藤が初めてなのだ。