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2021/07/27

35歳という遅咲きだった稲葉監督

 一方、近藤を代表に選んだ稲葉監督は、プロが参加する国際大会などほとんどない時代に現役生活を送った。2007年末の北京五輪アジア最終予選が、大学時代以来の日本代表選出。当時35歳という遅咲きだった。未知の世界との対戦、さらに野球先進国として「負けられない」というプレッシャーのかかる場面を初体験し「体が動かないって、本当にあるんだよ。あんなの初めてだった」とこぼしたこともある。

 それでもとにかく振って、走ってアジャストしていくというプレースタイルが功を奏し、結果を残していった。メダルを逃すことになる北京五輪の準決勝、決勝弾となったイ・スンヨプの打球は右翼を守る稲葉の上を飛んでいった。「五輪の借りは五輪で返す」とは、この人にしか言えないセリフだ。

「俺は裏方の勉強をしに行くんだ」と言っていた2009年のWBC、言葉とは裏腹に四番を任されたのはさすがと言うほかなかったが、左投手相手で出場のない試合でも大きな役割を果たしていた。高校時代からのライバルながら、初めてチームメートとなったイチローに、対戦経験のあった韓国左腕の情報を細かに伝え、勝利を呼んだのだ。

「近藤なら何とかしてくれる」という可能性

 今回、日本代表の外野手としては柳田悠岐、吉田正尚、鈴木誠也がいる。彼らがレギュラー濃厚という見方が強いだろう。ただ、そこで若いうちから世界を見てきた近藤には、当時の稲葉のような役割も期待できるはずだ。また、プロでの近藤はポジションを転々とした。捕手に始まり内野では三塁、遊撃を守ったことがある。攻撃力を生かすため外野に定着して久しいが、いざとなればあらゆるポジションにつくことができる。

 ベンチ入り人数が限られ、控え野手の人数を増やせない五輪では大きな才能となる。実際、球宴後に仙台で行われていた代表合宿では、脇腹を痛めた柳田の“影武者”として、中堅の守備練習もこなした。まさかの先発出場だった練習試合ではやらかしてしまったが、これも初体験のポジションで厄を落としたと思うことにしよう。稲葉監督だって「近藤なら何とかしてくれる」という可能性を感じての起用だったはずだ。

 近藤は五輪代表入りにあたって、こんなコメントを出している。「チームの勝利のため1球1球全身全霊を傾けてプレーしたいです。全員の目標である金メダルを獲得するため、自分の役割を果たして貢献できるよう頑張ります」。役割にはいろんな形があると、最初から分かっているかのような言葉に見えてならない。そういえば五輪決勝の舞台は、かつて韓国を下し、アジアの頂点に立った横浜スタジアムだ。

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