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「ハマトラ的虎ファン」に声援を

 初めて横浜スタジアムで阪神戦を観たのは、おそらく2005年。父親とデイゲームを三塁側内野席で観ていたその試合の終盤、阪神は逆転のピンチ、ベイスターズのバッターは種田仁選手を迎えました。

 当時、得点圏打率ではリーグ随一の成績を残していた種田選手を迎え、三塁側は緊張に静まり返る……、と思いきや、「メガホンかして」「こっちもかして~」と、所々にメガホンを集めているらしい人が。彼らは何をしているのか?

 ベイスターズファンは種田選手の打席になると、応援歌に合わせて「ガニマタ打法」の姿勢で屈伸運動を繰り返す「タネダンス」を踊っていました。対抗して、というよりはおふざけで、阪神ファンもちらほらとタネダンスで応戦。横浜ファンとの違いは、まわりから集めたメガホンを積み重ねたものをバット代わりに握っていたこと。10本近く繋がれたメガホンは、屈伸するたび波打って、曲芸のようでした。

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「これが阪神ファンか、さすがにおもしろいなあ」なんてことを思っていた当時小5ぐらいの私。しかし、後ろに座っていた20代~30代の男性阪神ファンが「ホントは応援したいんだけどな……」と、ごく小さくつぶやいたのです。メガホンを手渡した後で。

 阪神は逆転のピンチです。今チームを鼓舞せずに、なんのためのメガホンなのか。しかしそんな場面で、タネダンスをやりかえす笑いのセンスは認めざるを得ない。だからこそ彼もついメガホンを渡してしまったのでしょう。とはいえやっぱり……。

 このつぶやきが、20年ほどたった今でも妙に印象に残っています。男性ファンの葛藤は、横浜でタイガースファンをするというあり方を象徴している気がしてならないのです。私は子どもの頃、その時その時の強いチームを応援していたのでコロコロ贔屓チームが変わり、「このまま一生どこのチームのファンにもなれなかったらどうしよう」と真剣に心配していたのですが、それでも阪神ファンだけにはなったことがないです(すみません)。それだけ子ども心に阪神ファンになることの難しさを感じていたということでしょう。

「ガニマタ打法」の種田仁 ©文藝春秋

 まあ、もうひとつの「ハマトラ」を見てみると、横浜の阪神ファンも実際はノリノリの人も多いのかもしれません。

 大谷翔平選手を育てた花巻東高校の佐々木洋監督が、その下でコーチ修行をしていたことでも知られる、横浜隼人高校の水谷哲也監督。彼の過剰なる阪神愛は、ユニフォームを見れば一目瞭然。ヨコハマの「Y」をギリギリまで「T」に近づけ、ハヤトの「H」に重ねた見覚えのある帽子と、これまた瓜二つの縦縞ユニフォームを身にまとった球児たちは、「ハマトラ軍団」と呼ばれています。袖のワッペンまで本家を模すこだわりは一見の価値ありです。2009年、ハマトラ旋風を巻き起こし、筒香嘉智選手擁する横浜高校も破り、悲願の甲子園初出場の立役者となった2年生エースの名は「今岡」一平投手であることには、人智を超えたなにかを感じます。

 しかし、内気な少年時代を横浜で過ごした者としては、「ホントは応援したいんだけど」に共感を覚えます。水谷監督、徳島のご出身ですし。

 元町からそれほど離れていない横浜スタジアムに通い詰め、たまに「関西のノリ」に疑問を持つことがあっても、その関西のファンと同じぐらい、関西の阪神を愛している。そんな人を勝手に「ハマトラ的虎ファン」と呼んで、ひそかに声援を送りたいと思います。

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