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「ドラゴンズに来てくれてありがとう」中日ファンが綴る松坂大輔投手の記憶

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/08/13

 7月7日、あの松坂大輔投手が今シーズン限りで現役を引退すると発表された。

 日米通算170勝を挙げ、長年日本のエースとして活躍した平成の怪物。横浜高校から西武、メジャーへと数々の伝説を残している。ただ今回、私が書きたいのは多くの人が想像する華麗な伝説についてではない。私はいち中日ドラゴンズのファンとして、松坂投手が中日ドラゴンズに在籍した2018年から2019年について、心からの感謝を伝えたい。

 2018年1月。ソフトバンクを退団した松坂大輔投手が入団テストを受け、プロ20年目のシーズンを中日ドラゴンズでスタートさせるというニュースが入った。

 私はもちろん一般常識のレベルで、松坂投手が西武やメジャーで活躍した凄い選手だとは知っていたが、野球ファン歴も浅かったため、どんな球を投げてどんな勝ち方をしてきたのかは正直よく知らなかった。横浜高校での甲子園決勝ノーヒットノーランも、当時8歳だったのでリアルタイムでは覚えていない。

 そんな私ですら「あの松坂が中日ドラゴンズに入る」ということに相当な胸の高鳴りを覚え、絶対に球場で松坂投手を見たい! と思った。前所属のソフトバンクでは3年間で一度しか一軍のマウンドに上がらなかったことで、獲得についてはドラゴンズファンの間にも賛否の声があった。それでも私のように中日ドラゴンズで投げる松坂大輔が見たいと思ったドラゴンズファンは多かっただろう。

中日時代の松坂大輔 ©文藝春秋

現地で見て印象的だった試合

 2018年4月30日、松坂投手はナゴヤドームでのDeNA戦に先発し日本球界でおよそ12年ぶりの勝ち投手となる。日本での久しぶりの勝ち星が中日ドラゴンズで、とは誰が想像しただろうか。

 私が初めて球場で松坂投手の登板を観たのは、5月13日の東京ドームでの巨人戦。松坂投手がマウンドに上がる時、ドラゴンズファンはもちろん、ジャイアンツファンからも大きな歓声が上がった。ミーハーな私はしっかり背番号「99」の松坂ユニフォームを着て、松坂大輔タオルを手にしていた。

松坂ユニフォームと松坂タオル ©舘谷春香

 松坂投手は右ふくらはぎがつるトラブルに見舞われて3回途中で降板したが、あの降板を知らされたドームのザワザワというどよめきも経験したことがないものだった。それだけ両チームのファンが松坂投手の登板に大きな期待を持ち楽しみにしていたのだと実感する。いつもは肩身が狭い東京ドームの客席にも、心なしかいつもより多くのドラゴンズファンがいるような気がした。普段球場に行かないドラゴンズファンをも球場に向かわせるだけの力が松坂投手にはあった。

 また、大きな期待を時に裏切るお騒がせ投手でもあった。6月の西武対中日の交流戦、関東のドラゴンズファンとライオンズファンが大いに期待したメットライフドームでの先発登板。試合直前に急遽登板回避が発表され、ドアラが深々と頭を下げる姿があった。

 球場のファンたちはさぞガッカリしたと思うが、私は「なんて面白いんだろう。松坂投手はいつでも主役だな」と彼の大御所ヒーローぶりを楽しく見ていた。

 その試合、緊急登板をした藤嶋健人投手は6回9安打2失点でプロ初勝利を挙げる。それから他球団のファンの友人に藤嶋投手について聞かれると、私は「松坂が回避した時、緊急登板したピッチャーだよ」と言っていた。「ああ! 良いピッチャーだったね」と言われることが多く、注目度の高さから藤嶋投手を印象付ける試合でもあったと思う。

 もう一つ私が現地で見て印象的だった試合は、横浜DeNAベイスターズ後藤武敏選手の引退試合だ。試合後のセレモニーを横浜スタジアムの三塁側のベンチで1人見守る松坂大輔投手、そしてDeNAの小池正晃コーチと共に花束を渡す姿は感動的だった。

後藤武敏選手の引退試合 ©舘谷春香

 横浜高校での甲子園春夏連覇を共に戦ったチームメイトが再び横浜の地で集い、引退を見守る巡り合わせも、このタイミングで中日ドラゴンズに在籍しなければ実現しなかった。そう思うと、松坂投手が中日ドラゴンズにいた2年間も必然だったのだなと思う。