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今、松坂投手の背中を見た若手選手たちが成長し活躍している

 ご存知の方も多いと思うが2018年、松坂投手は11登板・6勝を挙げ見事カムバック賞に輝いた。この年、中日ドラゴンズの1番の勝ち頭は現在メキシカンリーグでプレーしているガルシア投手の13勝。実は松坂投手の勝利数は、笠原祥太郎投手と並び、ガルシアに次ぐ2番目だったのだ。

 今、中日を支えるエースの大野雄大投手はこの年0勝、柳裕也投手も2勝と、投手陣が怪我や不調に苦しんだ時期でもあった。振り返ってみれば、そんな苦しい時期を支えてくれた投手でもあった。

 全盛期とは違う勝ち方だったかもしれない。それでも、あれだけのスーパースター松坂大輔が必死に一つ一つ勝ちを積み重ねていく姿は、その背中を見る若い選手たちはもちろん、私たちファンにも大切なことを教えてくれたと思う。松坂投手の後を投げる後輩投手には「松坂さんの勝ちを消す訳にはいかない」とプレッシャーがあっただろうことも容易に想像出来る。

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 2019年は背番号「18」をつけたが、一軍での登板はわずか2試合。ただ、その分二軍の若い選手も松坂投手との時間を共有することが多かっただろう。選手の多くが松坂投手の引退を受けて「ドラゴンズで一緒にプレー出来た貴重な経験」に感謝を述べている。そして今、松坂投手の背中を見た若手選手たちが成長し活躍している。

 以前、文化放送の番組でご一緒した森繁和・元監督が松坂大輔投手を中日ドラゴンズに招き入れた当時について話してくれた。

「(自分がいる中日ドラゴンズで)最後の花道にしてあげたいという思いがあって引き受けることにした。1勝はしてくれるかなあ~というくらい。肩肘の故障もあったし。ただ、本人が野球を続けたいという強いものは見えた。それとあの時の中日の若い選手が、大輔が来たことによって良い経験をしてもらえると思い球団に交渉して獲った。それがカムバック賞を取ってくれるくらい活躍して良い結果になった」

 結果的に最後の花道にはならなかった。森繁和さんと友利結さんの中日ドラゴンズ退団を受け、松坂投手は中日ドラゴンズを去り、そして古巣の埼玉西武ライオンズへと帰っていく。森さんは「ここまで来たらとことんやれ」と声をかけたという。

 これまで共に戦った戦友たち、かつてのライバル、後輩たちなどたくさんの人が引退についてコメントしているが、本人から引退についてまだ直接言葉は出ていない。長きにわたって日本球界を支えた松坂投手は、今どんな気持ちなのだろう。

 あれだけドラゴンズの松坂フィーバーに沸きたった私も、結局、多くの人が言うように松坂大輔には西武のユニフォームが似合うと思う(個人的にはドラゴンズのユニフォームもかなり似合っていたと思うが)。

 できれば最後にもう一度、埼玉西武ライオンズ・松坂大輔としてマウンドにあがる姿が見たい。どんな形であれ、最後の花道をしっかりと目に焼き付け、「松坂大輔投手、中日ドラゴンズに来てくれてありがとう」とドラゴンズファンからも感謝を伝えたい。

©舘谷春香

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