元文春野球ヤクルト監督、巨人へ電撃移籍!
文春野球創設メンバーのひとりであり、東京ヤクルトスワローズ初代監督として2018(平成30)年、そして翌19(令和元年)とセ・リーグ連覇を果たしたこの僕が、なぜか文春野球巨人の代打として、こうしてキーボードを叩いていることが自分でも信じられない……。
1995年、広沢克己とジャック・ハウエルが二人同時にヤクルトから巨人へ移籍した。あるいは、2003年にはロベルト・ペタジーニが、08年にはアレックス・ラミレスとセス・グライシンガーが同時に巨人のユニフォームに袖を通した。そうだ、その翌年にはディッキー・ゴンザレスが、やはりヤクルトから巨人に移籍した。
ヤクルトファンとして、何度も煮え湯を飲まされながら、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで、ここまでの半生を歩んできたにもかかわらず、何の因果かマッポの手先……。いや、何の因果か巨人の一員として、こうして文章を綴る日がやってくるとは思わなかった。
ことの経緯を簡単に説明すると、文春野球巨人監督の菊地選手から「ぜひ、代打で登場していただきたい」と直々にオファーを受けたのが7月中旬のこと。現在、文春野球ヤクルトの一員である僕に対して、直接のオファーだった。明らかなタンパリングだ。でも、それが策士たる巨人監督の辣腕なのだろう。その後、巨人・菊地選手監督と、ヤクルト・遠藤修哉監督との間で、どのようなやり取りがなされたのかは知らない。が、ヤクルト遠藤監督から「期限付き移籍を認めます。健筆を振るって下さい」と連絡が入った。
ということで、僕は今胸に「G」マークをつけて原稿を書いているのだ。菊地選手からの依頼はシンプルだった。「今年のジャイアンツファンクラブ(FC)について、率直なご意見をお願いします」とのことだった。ご存知の方もいるだろうが、僕は05年から現在まで、17年間連続して全球団のFCに入会し、『野球太郎』(竹書房)というマニアックな雑誌で毎年FC比較原稿を書いている。さらに14年には、『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』(集英社)という本も出版した。特許庁に出向いて、「12球団ファンクラブ評論家®」として、商標登録もされた。
実はこの企画の担当編集者が菊地選手なのだ。05年から17年間も「FC企画担当」として僕の伴走を続けてくれているのだ。菊地選手の狙いは明白だった。というのも、ここ数年の巨人FCには信じられないほどの異変が起こっている。その詳細を文春野球読者にも伝えてほしいというのが、彼の意図するところなのだろう。17年間の恩義を感じつつ、僕はこうして原稿を書いているのだ。
豪華特典自慢だった巨人FCが、なぜ……?
発端は19年だった。この年、巨人FCは従来の「GIANTS CLUB G-Po」から「CLUB GIANTS」に改称し、大胆な組織改編を試みた。年会費54万円(税込)という新カテゴリー「グランドスラムメンバー」を新設。以下、「ゴールド(2万7000円・税込)」「シルバー(4320円・税込)」「ブロンズ(3240円・税込)」「キッズ(3240円・税込)」と続く。この年の『野球太郎』において、僕はこんな一文を書いた。
〈どうした巨人FC?
従来までの体制を一新し、「新・ジャイアンツ公式FC」と銘打って、5つの会員コースを新設したものの、例年までの豪華特典、独自特典は影を潜め、かなりのスケールダウン感が否めない。「球界の盟主」を自任する巨人の突然の方針転換。各球団とも、年々特典が充実している中で、「改善」ならぬ「改悪」だと言っていいだろう。〉
翌20年の『野球太郎』では、まったく同じ文言を用いて、次のように記している。
〈どうした、巨人FC?
19年にFC改革を行った巨人だが、正直言って「改善」というよりは「改悪」と感じられる内容。「来季こそ」と注目された20年だったが、メインアイテムが複数選択制になった以外は、これといった変化は見られなかった。〉
引用文中にもあるように、かつて巨人FCは実に豪華特典が並んでいた。「レプリカユニフォーム」や「メッセンジャーバッグ」などの王道特典に加えて、女性ファン向けのアイテムがあったり、玩具メーカーのタカラトミーとコラボした「黒ひげ危機一発ジャイアンツバージョン」があったり、選べる楽しさに満ちていた。
12年に「黒ひげ危機一発」で驚かせた後も、13年は新感覚フィギュア「ツミコレ」、14年「ネクストバッタースバスマット」、16年「本革コンパクトウォレット」、17年「Gボックスチェア」、18年「アウトドアチェア」と続いた巨人の独自特典は実に魅力的だった。前述した「FC本」において、「このチームのファンクラブを一言で言うと?」というコーナーで、僕は感服しながら「のび太が逆立ちしてもかなわない出木杉くん」と評したものだった。