横浜DeNAベイスターズで9年間、投手としてプレーをしていました小杉陽太と申します。

 ジェットコースターみたいな野球人生だが、私は運が強い。

 無意識に運を呼び寄せる何かしらの習慣はあったのかもしれないが、運を引き寄せる努力をしたかと言われたら自意識では特に何もしてない。

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 あるとすれば、野球の事を考えなかった日は1日も無いこと。そしてシンプルに野球が好きだ。しかもオタク級に野球に詳しく大好きだ。たまたま野球好きのオタクがプロ野球選手になれた。引退後も純粋に野球ファンだし、生粋のベイスターズファンである。

 元プロ野球選手としては珍しいと思うが、引退後にハマスタに観戦に行った元プロ野球選手ランキングでは1位になる自信がある。

 そんな運だけで生きてきた男だが、たった一度だけ運を引き寄せるために自ら意識的に行動を起こした日がある。

 いや、あの日も、むしろ運に頼っていたのかもしれない。

野球人生のスタートは「助っ人」だった

 野球のキャリアスタートは小学6年生の時だった。同じクラスで私の前の席だった野球チームのキャプテンから「人数が足りないから助っ人できてくれない?」と言われたのがきっかけだ。

 小杉家は生粋のバスケット一家であった為、当時の私はバスケットボールクラブでプレーをしていた。かなりハードルが高い要求ではあったが、昔から何かを自分の意思以外でやらされることにアレルギーを持っていたので、バスケを辞めるには絶好の機会とさえ捉えていたのを今でも覚えている。

 とは言え、親を納得させる材料が必要だ。

 後々考えればこれも運が良いと言えるのか、野球チームへの初参加が練習試合であった。当然、試合をする人数が足りないから誘われたわけだが「この試合でホームランを打てなかったら引き続きバスケットボールを続ける」という条件のもと、野球チームへの参加が認められた。

 結果はというと、第1打席でビギナーズラックのホームランを打った。

 因みに生涯ホームランが2本なので、その内の1本が野球人生第1打席で出たというミラクルだ。我ながら持ってる男だと思った。

 これをきっかけに私は野球人生をスタートさせる。

 余談だが、入部した東陽フェニックスというチームは、OBに先日引退を発表された松坂大輔さんがいる。松坂大輔さんという身近のようで遠い存在がプロ野球選手になりたいというボンヤリとした夢を描くキッカケになったことは間違いない。

現役時代の筆者 ©文藝春秋

 2008年のドラフト会議にて、当時の横浜ベイスターズから指名を頂き、念願のプロ野球選手、そして意中の球団に入団することが出来た。

 当時は田沢投手(元ボストンレッドソックス)がドラフトの目玉として存在していた。

 社会人1年目で最低限の活躍と球速が上がった事と高校時代の評価が追いつき、次年のドラフト候補として注目され、解禁年も春先は田沢投手と投げ合うまでに成長出来た。

 因みに担当スカウトの方は私を田沢投手より上と評価してくださり編成に「本当か??」と言われたそう。本人ですらそう思うが、当時はそれくらい絶好調で、担当スカウトの方には感謝してもしきれないのでプロで恩返ししようと誓った。

野球から逃げ出してアルバイト生活の日々

 それまでの道のりというと、正直どう表現して良いか分からない。遠回りといえば遠回りだし、近道ではないが遅くもない。運が良いとしか思いつかないのだ。

 東東京の名門・二松学舎大付属に入学し登板経験こそないものの、甲子園の土は踏めたし、大学は東都の名門・亜細亜大学で1年からメンバーに選んで頂いた。

 何不自由ない野球生活を送らせて頂いていたが、当時の自分の考えの甘さにより自主退学をした。自主退学と言えば綺麗な言葉すぎる。脱走したのだ。

 1年生の春季リーグ戦から投げさせてもらったが未勝利と思うような結果も出ず、怪我も重なった。現ソフトバンクホークスの松田宣浩選手とは同部屋で過ごさせて頂いたが、こういう人がプロに行くんだなと……自分と比較した時にむしろ不安になった。他校の選手と比べた時も自分の現在地と照らし合わせると、到底プロが手に届きそうな位置ではなかった。なんとなくここまできてしまっていたんだなと自分の無力さを痛感すると同時に、帰省時に地元の友人と会うと非現実を味わえて楽しかった。野球がつまらなくなっていたんだと思う。挫折でもなんでもなく逃げ出したのだ。

 たまたま見つけた求人募集を見てオープニングスタッフとしてハンバーガー屋でアルバイトを始めた。野球しかしていなかった僕にはとても新鮮だった。夜は友人と深夜まで飲む日々を過ごした。今思うと野球を忘れる為に必死だったのだろう。

 2ヶ月ほどそんな日々を過ごした。何故だろう、自分から望んで野球から離れたはずなのに野球のことが頭から全く離れなかった。ふとした瞬間に無意識にシャドーピッチングをしたり、休憩時間を使って神宮球場に足を運んでいる自分がいた。全く心が満たされておらず、むしろ虚しくなっていった。

 ニュースを見ると同世代の活躍、神宮球場ではかつての仲間がプレーをしている。

「何をしているんだ、自分は……」

 ふと、小学生の時に横浜スタジアムで抱いた気持ちが蘇る。

「プロ野球選手になりたいんじゃなかったのか。横浜ベイスターズのユニフォームを着てハマスタのマウンドで投げるんだろ? このままでいいのか?」

 気がついたら自ら行動していた。

 少ししてアルバイトを辞めた。意を決して高校の監督さんに頭を下げ、高校のグラウンドで練習をさせて頂いた。許可は得ていない。自分の意思で全て行動した。監督さんに無視をされても当然の事だと更に身を引き締め、毎日柏まで通い選手の手伝いをしながら合間で自分の練習をさせて頂いた。