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森敬斗、鈴木尚典、田代富雄…ホエールズ・ベイスターズ“地元出身者”の系譜〈一覧表付き〉

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/08/10

 台風接近の影響で今日8月10日開幕になった夏の甲子園大会。ベイスターズのお膝元・神奈川の代表は3年ぶり19回目出場の横浜高校。紺色の「YOKOHAMA」の胸文字が存在感を放つグレーのユニフォームは文句なしに格好よく、オールドファンは同校を選抜初優勝に導いた永川英植を、夏のヒーローとなった愛甲猛を、そして松坂大輔の1998年夏を思い出す。

 2021年現在、ベイスターズに在籍する横浜高出身選手は倉本寿彦に乙坂智、新人の松本隆之介と育成入団の石川達也の計4人。アメリカで奮闘する筒香嘉智も、6月に引退式を行った石川雄洋も言うまでもなく同校出身だし、松阪と共に甲子園で激闘を演じた小池正晃コーチもいる。松本は入団時に「野球を始めた時からベイスターズに憧れていた」とコメントし、松坂の意中の球団がベイスターズだったことは98年の記憶とセットで今も心に刻まれている。3年前には当時のラミレス監督が「今日は松坂大輔が相手だから、横浜高校メンバーで一丸となって戦う」とスタメンに4人の同校出身選手を並べた結果試合を落とし、賛否が巻き起こったのは記憶に新しい。

大洋ホエールズ時代の地元神奈川出身選手

 近年はそんな横浜高とベイスターズを紐づけたエピソードが語られ、球団の方針にも地元神奈川出身選手を積極的に獲りに行く姿勢が伺えるが、かつて大洋ホエールズ時代には正直そういう傾向はほとんどなかった。特に京浜工業地帯のど真ん中、川崎球場を本拠地とし、球団事務所も大洋漁業の本社である東京・大手町にあった77年までのホエールズに地元選手獲得志向は薄く、50~70年代に横浜高出身で活躍した選手といえばワンポイントリリーフで活躍し、王貞治キラーで名を馳せた平岡一郎。彼が球団初の横浜高OBである。

 神奈川出身という視点で見ると新人歴代最高タイの31本塁打を放ち、大洋初優勝時に4番を打った桑田武が横浜市鶴見区生まれ(高校は東京・荏原高)。70年前後には平塚生まれの野村収、相模原生まれで同市役所勤務時に入団テストを受けた高木由一、小田原生まれの田代富雄を獲得し、後に投打の主力となった。67歳となった今も元気にベイスターズの打線を下支えする田代コーチが現役引退後、茅ヶ崎で「田代ラーメン」を営んでいたのは有名な話だ。

 横浜スタジアムに本拠地を移し、横浜大洋ホエールズとなった80年前後は大学・社会人出身の即戦力を獲得する傾向が強く尚も地元志向は見られない。その中で獲得し損ねたのが横浜市旭区生まれで横浜一商高(現・横浜商大高)出身の木田勇。社会人野球で名を馳せ、地元球団入りの意向が強かった木田を大洋は2度も一位指名しながらクジ運に泣いている。日本ハム入団後新人で22勝。MVPを獲得した活躍ぶりにどれだけ多くのファンが歯ぎしりしたことだろう。その後も横浜市旭区に生まれ横浜・桜丘高出身の大物・阿波野秀幸をクジで逃したとことん運のない大洋。その阿波野が巡り巡ってベイスターズに入団し、98年の日本一に貢献したのはせめてもの救いだった。またY校(横浜商)出身で三浦将明とともに甲子園で活躍した荒井幸雄もヤクルト、近鉄を経て98年優勝時に入団。代打で渋い活躍を見せている。