幕末の安政4年9月16日から翌17日にかけて、薩摩藩主・島津斉彬は、側近たちにダゲレオタイプ(銀板写真)と呼ばれる写真術により自分を撮らせた。16日は、西暦に換算すると1857年11月2日であり、いまから160年前のきょうにあたる。

自分自身を撮らせ、撮影を成功させた島津斉彬

 16日・17日とも好天に恵まれ、斉彬の撮影は3、4回でうまくいった。斉彬は、そのなかから3枚を選んでほかは消せと命じたという。この1枚と考えられる写真が、昭和50(1975)年、鹿児島市の尚古集成館から偶然発見された。これは日本人が撮った現存する最古にして、ダゲレオタイプによる唯一の写真である。斉彬の側近・市来四郎が明治17(1884)年にまとめた『斉彬公御言行録』には、「翌十七日、天気晴朗、午前ヨリ御休息所御庭ニオイテ(此日ハ御上下御着服ナリ)三枚奉写、……是レ安政四年丁巳九月十七日ノ事ナリ、……是ヲ日本ニオイテ撮影術ノ嚆矢トス」とあり、また発見された写真の斉彬は裃(上下)姿であることから、17日に撮られたものと推定される(芳即正『島津斉彬』吉川弘文館、小沢健志『幕末・明治の写真』ちくま学芸文庫)。

ダゲレオタイプを考案したダゲール ©iStock.com

 ダゲレオタイプは、フランス人ダゲールが考案したもので、天保10(1839)年に最初の実用的な写真術としてパリで公表された。日本では嘉永元(1848)年に長崎商人の上野俊之丞(写真家・上野彦馬の父)が初めて輸入し、これを薩摩藩に献上した。斉彬は、ダゲレオタイプを「印影鏡」と名づけ、さっそく取り扱いを始めたものの、なかなかうまくいかなかった。本格的な研究は、その後、彼が嘉永4年に藩主となり各種の洋式工場(のちの集成館)をつくって以降、前出の市来四郎や宇宿彦右衛門、蘭学者の川本幸民らに命じて開始された。

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 斉彬は自分でも写真を撮った。先述の肖像を撮らせる数日前、安政4年9月13日には、琉球の使者らに集成館を見せるなどしたあと、側近の山田為正(壮右衛門)を写し、さらに16日にも、近く琉球に渡る予定だった市来四郎を写して、それを留守中の家族に預けるよう渡したというが、いずれの写真も現存しない(『島津斉彬』)。ちなみに来年のNHKの大河ドラマ『西郷どん』では、斉彬を渡辺謙が演じる予定である。