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復元された57枚の写真

 事件が急展開したのは、発生から7年後のことだった。2016年12月20日、島根・広島両県警合同捜査本部が、事件当時33歳だった男を犯人と特定、殺人と死体損壊・遺棄の容疑で書類送検したのだ。男は当時、浜田市の隣の島根県益田市に住んでおり、Hさんの遺体が臥龍山で見つかった2日後の2009年11月8日に死亡していた。

 警察は、一向に手がかりをつかめずに年月が流れる中、遺体に付着していたポリ袋片が広島県や山口県などでも流通していた電話帳配布用のものと特定されていたことに着目し、2016年に入ってから捜査範囲を拡大していたのだ。そして同年夏頃に、Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り機)で不審車両の洗い直しをしたところ、事件発生前後に浜田市内で不審な動きをする車が浮上した。だが、Nシステムに写っていたのは、ほんの数か所。その車は、通行記録が残る幹線道路をほとんど通らず、裏道を走っていたものと思われる。

ショッピングセンター近くの住宅地 ©谷口雅彦

 その車の所有者である男の経歴を警察が調べたところ犯罪歴があったため、疑いが強まった。そこで同年秋、警察は男の遺品を精査し、デジタルカメラとUSBメモリから画像を発見。それが決定的な証拠となった。データはすべて消去されていたが、復元すると、行方不明後のHさんと見られる、切断前後の遺体のほか、遺体損壊に使ったと思われる文化包丁、写り込んだ男本人の足などの写真57枚が出てきたという。当時、男が住んでいた益田市内の借家も捜索され、そこでの有力な痕跡は見当たらなかったものの、写真に写っていた背景から、その家の風呂場で損壊した可能性が高いことが分かった。殺害場所や詳しい犯行日時は特定できなかったが、Nシステムの通行履歴で2009年10月26日に益田市から浜田市に入り、翌27日に益田市に戻っていることから、その間、もしくは益田市へ戻った直後に殺害された可能性が強いと見られている。

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 Hさんと男の間に、携帯電話の通話やメールの履歴などがなかったことから、警察は2人に面識はなかったと判断。それと同時に警察は、男による単独の犯行と断定した。その根拠については、「第三者の介在は考えられないという物証がある」と発表されているが、その物証が何かは「答えられない」とのことだった。また警察は、殺人容疑での書類送検に至った経緯についても、画像以外の物証や証言から総合的に判断したと説明しつつも、その具体的な内容に関しては、「捜査に支障が出る」「遺族の尊厳と関係者のプライバシーに関わる」として、明らかにしていない。