京都・蓮久寺の三木大雲住職のもとには、助けを求める人が絶えない。ポルターガイストに悩まされている、人形をお祓いしてほしい、さまよう霊を供養成仏させてほしい……。
そんな実話や自身の体験など、現代の怪談、奇譚の数々を収めた「怪談和尚の京都怪奇譚 幽冥の門篇」(文春文庫)が刊行された。
怪談を切り口にわかりやすく説法を説く「怪談説法」で一躍有名となった三木住職。なぜ“怪談和尚”と呼ばれるようになったのか、その半生について話を聞いた。(全3回の1回目。#2を読む)
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雨漏りし、壁は壊れ……廃寺寸前の蓮久寺を選んだ不純な動機
――蓮久寺の住職になったのはいつでしょうか?
三木 平成17年(2005年)からですから、16年前ですね。
住職になる前は3年程極貧生活をしていました。京都は学生街なので、学生さんに2階だけ貸しますよというところがあって、「その2階を家族で貸してください」と頼んで、無理矢理住ませていただいていましたね。
――なぜ蓮久寺の住職になったのでしょうか?
三木 実はこのお寺自体、廃寺が決まっていたお寺だったんです。ですからもう檀家さんがほとんどいなくて。その当時、私は水道・電気・ガスが止まるような生活をしていたので、(蓮久寺に住めば)まず家賃がかからない。雨漏りするよとか、壁壊れているよと言われていたんですけど、「いやもう全然、家賃がかかるよりは良いです」と言って。そんな不純な動機で来たいというのがひとつ。
もうひとつは、私が以前、(蓮久寺で)綺麗な部屋を見たのですが、その部屋をもう一度見たかったんです。なので、その部屋さえあれば他がボロボロでもいいということで、「蓮久寺は私が一からやります」と、入らせていただきました。
――住職が見たという綺麗な部屋については、「怪談和尚の京都怪奇譚 幽冥の門篇」の「蓮久寺」というお話に書かれていますよね。
三木 そうですね、新書をお読みいただければ詳しく書いています。