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《スケートボード》金メダルを逃した絶対王者・岡本碧優(15)の恩師が語った彼女の過去「ああ見えてビックマウスな一面も」「タメ口利くほどヤンチャ」――東京五輪の光と影

2021/08/16
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「ああ見えて昔はビッグマウスだったんですよ」

 そして今回惜しくも4位に終わってしまった岡本。

 愛知県出身の彼女は、中学に入学する前に親元を離れ、岐阜にあるスケート一家・笹岡家に下宿することを決めた。下宿先の笹岡家では、岡本がどのくらい本気なのかを知るために、小学校卒業までに540をメイクすることを下宿するための条件とした。

岡本選手 ©︎Enomoto Asami/JMPA

 そんな彼女について、笹岡家の父・賢治さんは次のように話す。

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「ああ見えて昔はビッグマウスだったんですよ」

 今回のオリンピックの姿を見て驚く方も多いだろう。あの不安そうな顔からは想像ができないが、下宿する前は、熱心なスクール生で「跳びたい!」という気持ちが強く、そこに対しては怖さを知らずスピードも緩めずに突っ込む。また、コーチである笹岡拳道さんに対してタメ口利くほどのヤンチャさもあったそうだ。

「世界一になりたい!」という強い気持ちで下宿を始めてからは、心を打ちひしがれながらも練習に打ち込んだ。そして女子でいち早く「540」をマスターできたのだが、そのことがかえって後の彼女に影を落とすことになるのである。

 絶対王者となった岡本は、先ほど言ったように、昨年東京五輪が行われていたら金メダルを取っていたに違いない。しかし延期された1年の間に、四十住や開はがむしゃらに練習し、実力をつけていったのだ。

 どこか慢心があった岡本は、540を練習していた頃のような厳しさに耐えきれなくなっていた。それを察した賢治さんやコーチの拳道さんは、無理矢理やらせることはせず、練習をしない日々があったことも告白している。

 今回のオリンピックで、絶対王者、世界ランキング1位の岡本は、最後のトリックでミスしてしまい、メダルには届かなかった。

オリンピックではこのキックフリップインディーが勝敗を分けてしまった ©Yoshio Yoshida

 しかし最後まで果敢に攻める彼女の姿勢、そして決勝の最後のランを終えた彼女の元に集まり、抱きかかえた外国人選手の姿に感動した方も多いだろう。

©getty

日本史上最年少メダリスト

 そして、日本史上最年少メダリストとなった開心那。現在中学1年生の彼女は、北海道で生まれ育った。5歳でスケートボードを始め、苫小牧市から札幌の練習場まで通って腕を磨いてきた。

 9歳の時に出場した第2回日本選手権パーク女子で4位に入り、海外デビュー戦となった同年8月のVANS PARK SERIES(シンガポール)で優勝。一躍、注目を浴びる存在になった。

開選手 ©︎Enomoto Asami/JMPA

 彼女の特徴はなんと言ってもノーズグラインド(ボード前方の金具を使って、コースの縁を滑るトリック)だろう。一見地味に見えるかもしれないが、難易度の高い場所でスムーズにこのトリック成功できる選手は他にいない。また、彼女は他の選手が使わないセクションをあえて使っている。そうした独創性が大きな加点ポイントとなった。

 このように女子パークは前評判通りの結果を出してくれただけでなく、それぞれがそれぞれの持ち味を存分に発揮してスケートボードの魅力を日本中に発信してくれた。

 これから競技人口も大幅に増えるのではないだろうか。さて、いよいよスケートボードも残すところ男子パークのみ。平野歩夢選手は残念ながら予選敗退となってしまったが、日本のスケートボードのレベルの高さを世界に誇ることができたのではないだろうか。

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