開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年8月5日)。

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 国内を熱狂の渦に巻き込んだスケートボードストリートでの男女ダブル金メダルから10日。

 東京オリンピックスケートボード女子パークでは、四十住さくら(19)が金メダル、開心那(12)が銀メダルと日本勢がワンツーフィニッシュ。開に至っては日本史上最年少メダリストとなった。

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左から開心那選手、四十住さくら選手、スカイ・ブラウン選手 ©︎Enomoto Asami/JMPA

 もともと女子パークはスケートボードの全種目の中で最もメダル獲得の可能性が高いと言われていた。実際に五輪前の世界ランキングでは、トップ10に日本人選手5名が名を連ねており、日本代表に選ばれるだけでもかなりハードルが高い。

 それでも、これほどまでの結果が出るとは、多くの方は想定していなかったのではないだろうか。

 そもそも女子パークはなぜこのような結果を勝ちとることができたのだろうか。

熾烈なトップ争いをしていた四十住さくらと岡本碧優

 そこには四十住さくらと、今回は惜しくも4位に終わってしまった岡本碧優(15)という世代も性格もスタイルもまるで違う2人の熾烈なトップ争いが存在していたのだ。

 まず先にブレイクしたのは19歳の四十住さくら。

以前はストリートにも参戦していた四十住。彼女の多彩なトリックバリエーションはこういうところにも表れている。(2017年撮影)©Yoshio Yoshida

 和歌山県出身の彼女は、小学6年生の時に、兄が楽しそうにスケートボードを滑っているのを羨ましそうに見ていたところ、兄から古いスケートボードを譲られたことがきっかけで、スケートボードをはじめた。そこから大阪にあるスケートボードスクールに通い、スケートボードの腕を磨いていった。
 
 両親は、スケートボードの道に進むことに当初は反対していたが、本気でやることを条件に、自宅の庭には専用のランプセクションを作り、金銭的な援助を惜しまなかったという。中高生時代は、数時間かけて県外の練習場まで通い、遅い時間まで練習を続けていた。