開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年8月7日)。

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 東京オリンピックで初めて競技種目に加わったスケートボード。男女ともに日本人選手が金メダルに輝いた「ストリート」に続き、8月4日に行われた「女子パーク」でも、四十住さくら(19)が金メダル、そして開心那(12)が銀メダルを獲得した。

 このとき、3位になったのが英国代表のスカイ・ブラウン(13)だ。英国人の父親と日本人の母親のもと、宮崎県で生まれたスカイ・ブラウンは、予選から高難易度のトリックを連発し、弾けるような笑顔を見せていた。競技終了後のインタビューでは、「メッチャうれしい。さくらも心那も一緒にポディウム(表彰台)乗って、もうヤバイ!」と日本語で答え、銅メダル獲得の喜びを表現。その姿がSNSでも大きな話題になった。

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「女子パーク」で銅メダルを獲得したスカイ・ブラウン ©getty

 実は、スカイ・ブラウンは夏季オリンピックの英国代表最年少記録を93年ぶりに更新し、さらにはメダリストの最有力候補ということで、本国では出場前から非常に注目されていた選手だ。そこで、彼女のこれまでのキャリアや銅メダル獲得の舞台裏、そして“多才すぎる素顔”について、現地の報道を中心に紹介したい。

スケートボードは「YouTubeを見て学んだ」

 英国人のプロスケートボーダーであるスチュアートさんを父に、宮崎県出身の美枝子さんを母に持つスカイ・ブラウンは、2008年に宮崎県で生まれた。3歳の頃、父親の影響でスケートボードを始めた彼女が初めて注目を浴びたのは、4歳のとき。スカイ・ブラウンがスケートボードをする動画をスチュアートさんがFacebookにアップすると、それが瞬く間に拡散されたのが、彼女の“世界デビュー”だった。

 すぐにスケートボードの才能を開花させたスカイ・ブラウンは、2018年に10歳でプロに転向。まもなくナイキとスポンサー契約を結んだ。ちなみに、ナイキがスポンサー契約を結んだ選手としても最年少記録を樹立している。

 オリンピックで彼女が披露した華麗なトリックの数々に魅了された人も多いはずだが、なんとそのほとんどが「独学」なのだという。「スケートボードのコーチがいなかったスカイは、YouTubeを見て、ほとんどのトリックを学んだ」「彼女はYouTubeを見て、それを再現することに時間を費やした」と、BBCでも報じられている。

2019年のX Gamesに出場したスカイ・ブラウン(当時11歳)。このとき、女性選手として初めて「フロントサイド540」を成功させた ©getty

宮崎とカリフォルニアを拠点に活動

 2019年にサンパウロで開催された世界選手権では銅メダルを獲得。同年に挑んだX Gamesでは「フロントサイド540」を女性選手として初めて成功させるなど、弱冠13歳ながら、スケートボード界では既に名だたる成績を残している。

 現在は1年の半分を宮崎で、もう半分をカリフォルニアで過ごしているという彼女だが、特技はスケートボードだけではない。