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引退後のことは白紙と語っていた

 野口が初めてクライミングという競技を知ったのは、小学校5年。家族旅行で行ったグアムのショッピングモールにクライミングウォールがあった。人見知りで、木登りが大好きだった少女はすっかり虜に。娘の生き生きした姿を見た父は、自宅近くに施設がないか探したところ、車で30分ほどのつくば市にオープンしたばかりの施設を探し出し、毎週末通った。

 それから1年後。小6で出場した全日本ユース選手権でいきなり優勝。

「どんな試合かもわからず出場したけど、優勝する快感を覚えてしまいました」

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銀メダルの野中生萌選手と ©JMPA

 中1になると、父は経営する牧場の一角にあった牛舎を改造し、クライミング練習場を作った。だが父は、娘を選手に育てようとしたわけではなく、あくまで父と娘の遊び場のつもりだった。

 一方、勝利の快感を覚えた娘は、学校から帰ると毎日壁に登った。そしてここでかいた汗の量が、東京五輪で銅メダルを引き寄せた。

 五輪前、野口は引退後のことは白紙と語っていた。

「とにかく五輪までは何も考えず競技に専念したい。でも多分、引退してもスポーツクライミングにかかわる仕事をやっていくと思います。具体的にはまだ考えていませんが」

 登攀する壁は変わっても、野口の挑戦はまだまだ続く。