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「スマホの指紋認証はできないし、シャンプーは髪の毛に当たった指が痛いんです」 “牛舎生まれ”クライミングの野口啓代(32)が銅メダルをつかむまで――東京五輪の光と影

2021/08/19

遠征費はバイトで稼いだり、父の支援を…

「遠征費はバイトで稼いだり、足りないときは父に支援してもらっていました。当時は英語もそれほどできなかったので、試合そのものより、出場のための申請手続きの方が緊張していましたね」

 そんな厳しい環境に身を置きながら、ボルダリングジャパンカップで歴代最多の11勝、ワールドカップ優勝21回、年間チャンピオンに4度輝き、メダルの数は50個以上。

 ワールドカップで初優勝した08年から現在まで世界のトップを走り、これほど長くトップクラスに君臨し続けてきた選手は、野口以外にいない。圧倒的な成績を積み上げ世界のクライミングシーンをリードしてきた野口は、世界のクライマーからも“特別な存在”と尊敬されている。

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©JMPA

 だが、野口の功績は成績だけではない。ほんの10年ぐらい前まではスポーツクライミングに取り込む選手がほとんどいなかったが、今は野中だけでなく、伊藤ふたば、森秋彩など野口の背中を見てきた10代の選手たちの活躍が目覚ましい。19年のW杯では、日本が国別ランキングの1位につけている。

 また、練習環境も大きく変わった。今やスポーツクライミングは都市スポーツとして若者の人気になり、各地に施設が生まれている。

 スポーツクライミングを取り巻く劇的な環境の変化は、野口がもたらしたとは言わないが、一端を担ったことは確か。

 茨城県の牛舎から生まれたアスリートが今や、世界のレジェンドになった。

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