50歳でホタテビキニをまとった自身の姿を捉えたセルフポートレートで注目された、写真家のマキエマキ(56)。
49歳でセーラー服姿の自撮り写真を撮ったのを皮切りに、“昭和”や“場末”をテーマにしたエロスとユーモアに満ちた作品を放ち続けている。
大阪での個展「マキエ式」を控える彼女に、写真家にとっての加齢をめぐる問題、彼女の創作パートナーである夫の存在、自身の作品に込めた“ある意義”などについて、話を聞いた。 (全2回の2回目/1回目を読む)
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「60歳になったときに、この仕事をやってるのは嫌だな」
ーー「もともと写真もそんなに好きじゃない」と仰っていましたが、それでも商業カメラマンになったのは。
マキエマキ(以下、マキエ) 山岳写真を撮ってみたかったんですよね。で、私は高校を出てから進学してなかったので、写真学校に行けば短大卒ぐらいの学歴になるし、なにかやるんだったら写真ぐらいかなって。そんな軽い気持ちで、写真学校に入って。
卒業したら編プロに就職するつもりだったんです。ほぼほぼ話も決まってたけど、そこで師匠に出会って、「センスいいのに、もったいない」と言われたんですよ。そこで「そういうことならやってみようかな」と図に乗って、その師匠についてカメラマンを始めたんです。
たまたま写真で食えるようになっちゃったので、やっていた感じで。いずれにせよ、仕事は好きじゃなかったですね。
ーー下積み時代の師匠からの圧は、相当なものだったのですか。
マキエ それがすごく辛くて、帯状疱疹になったり、10円ハゲがいっぱいできたり。3か月に1回は胃カメラ飲んだりとか(笑)。さすがに殴られたりはしなかったけど、それは「女だから我慢してやってるからだ」みたいなことを言われました。
ーー素材用の風景写真や企業のPR撮影を手掛けていた商業カメラマンからセルフポートレート写真家となったのは、仕事が好きになれなかったことも大きかったのでは?
マキエ 50歳になって本格的にセルフポートレートを撮り出しましたけど、もともと「60歳になったときに、この仕事をやってるのは嫌だな」って思ってたんですね。60代で同じ仕事の人を見ていると、いろいろと厳しいんですよ。
体力的にもキツいですし。カメラマンの単価も、私が始めた頃に比べて下がってますから。「この先、どうなっていくんだろう……」という不安がすごくあって。
昔は稼いでたけど、いまは仕事がなくなって、みたいな。私の知人なんかでも、昔は年収2000万ぐらいあったけど、写真だけで食えなくなって、運転手の仕事を掛け持ちしてると風の噂で聞いたりとかね。それはツラいなと思って。