13歳で映画『ハイティーン・ブギ』に出演し、近藤真彦さんのヒロイン役に大抜擢され、一夜にして有名になった武田久美子さん。その後、グラビアでも大活躍し、写真集『My Dear STEPHANIE』での貝殻ビキニは大きな話題を呼びました。一方、順調に仕事を続けていた武田さんですが、仕事への向き合い方に迷ったことも。撮影では、誰がカメラマンであっても動じなかった理由は何か。お話を聞きました。(全3回の2回目。#1#3を読む)

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「女優さんもいいなぁ」そんな、ふんわりした憧れ

――武田さんは13歳でデビューされましたが、どういった方向性でお仕事をやっていきたいなど、思いはあったんでしょうか。

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武田 デビューする前は、漠然と芸能人になれたらいいな、くらいだったと思います。

 小学生の頃、コマーシャルの撮影をしているときに、萩原健一さんが近くにいらして、「なに? 久美子ちゃんは将来女優さんになるの? 何になるの?」と聞かれたんです。

「あぁ、そうか。女優さんもいいなぁ」って、子ども心に思いました。私もサインを書く側になりたい。そんな、ふんわりした憧れはありましたね。

武田久美子さん

レコーディングも嫌になって

――その後、映画『ハイティーン・ブギ』の出演をきっかけに、一気に知名度が上がりました。お仕事も変化していきましたか。

武田 急にワッとお仕事が入りましたね。立て続けに自分が主演の連続ドラマに出て、絵に描いたように歌も出し、コンサートもやって。ミュージカルで舞台に立ったりもしました。

 一応一通りのことをやってるんですが、実力がなかったんです。歌は下手、演技も下手なので、続いていかないんですね。それで、どんどんどんどん仕事が減っていって…。ゼロにはなってないですよ。ただ、やっぱりデビューがあまりにも良かった。その後も、映画も何本か出ましたが、ちょっとパッとしなくなっちゃって。

 デビュー曲は、話題性もあったのかパーッと売れたんですけれども。それが3曲目、4曲目になってくると、ベスト20にも入らなくなってくる。私も自分が音痴なのはわかってるし、だんだん辛くなってくるんです。そうなると、もうレコーディングも嫌。ミュージカルにしても、元々目指していたわけでもなくて根気もないわけです。

マルベル堂のプロマイドは常に1位だった

 そこで、何かないかなと思ったときに、昔取った杵柄で写真はすごく好きだったなって。どんなに歌が売れなくても、ドラマの仕事が減っていっても、マルベル堂のプロマイドだけはずっと1位だったんです。だから、私は写真ではウケてるんだなと。それで、15歳くらいからちょっと写真集を出したらすごく売れて。面白くなって2冊3冊と出していって、その後も数えきれないくらい出しました。