『ハイティーン・ブギ』や、「貝殻ビキニ」が表紙の写真『My Dear STEPHANIE』が大きな話題を呼び、グラビアでも大変注目を集めていた武田久美子さん。しかし、武田さんは33歳のときに、アメリカ人の男性との結婚のため渡米しました。芸能界で活躍する最中、どんな心境で日本を離れ海外生活を選んだのか。また、子育てや離婚を経験して、今思うことは。お話を聞きました。(全3回の3回目。#1#2を読む)

武田久美子さん

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元夫はハワイで出会い「ロサンゼルスに来るときは電話して」と…

――2000年、武田さんが33歳のときにアメリカ人の方と結婚されました。お二人が出会う前から、英会話を学びに短期留学をしたり、視野を広げようと精力的に動いていた時期だったとか。

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武田  29歳から30歳になる頃、当時の私は、30になるとなんだか急に歳をとるような、変な気構えがあったんですよね。それで、何かやり残したことはないかと始めたのが英会話でした。それまでも、仕事でもプライベートでも散々海外には行っていて、簡単な受け答えは出来たんです。でも、長い会話になると返せない。もっと英語が話せたらハリウッドでも写真集が出せるんじゃないか。活躍の場が広がるんじゃないかって思ってね。たった3カ月と短いながら短期留学をしたり、いつも英語の辞書を持って、日本でも英語しか話せない人とお茶をしたり。地道に英会話の勉強をしていました。

 元主人と出会ったのはその頃です。たまたまハワイに遊びに行ったら、ナンパされまして。「もし、次ロサンゼルスに来るときは、ぜひとも連絡をくれ」と、名刺をくれたんです。それで、今度ロスに行くとなったときに、電話をしてみたら出たので。それからの付き合いです。

 当時は別に付き合っていた男性はいましたし、それまでも青年実業家とか、たくさんお付き合いした人はいましたよ。でも、「俺もそろそろ結婚したいんだよね」って遠回しに話す人はいても、面と向かって跪き、コマーシャルのようにパカッと指輪を見せて、「Will you marry me?」はなかったんです。

 それで、元主人にプロポーズされて、勢いで「OK」って言っちゃいました。これも人生かな、と思いまして。

30歳を迎えるころ、活躍の場を広げるために英語を勉強していた武田久美子さん

「日本を捨てて出ていくんだから二度と帰ってくるなよ!」と言われて

――ただ、芸能界で活躍をされている中での渡米でした。仕事とかお金が無くなったらどうしようとか、不安はありませんでしたか。

武田 何もなかったですね。ある大手プロダクションの社長さんに、「もうね、日本を捨てて出ていくんだから、二度と帰ってくるなよ!」って言われたんですよ。でも「はーい、帰ってきませーん!」って言って出ていきました。強気ですよね(笑)。でも、実際帰ってきても何も言われませんでしたし。

 それに、私は仕事をスタートした時期が早かったんですよ。小学校からCMに出て、13歳でデビュー。周りでは、デビューが早くてもせいぜい16歳だったので、13歳はとびきり若かった。もう長いことお仕事もしたし、ちょっとくらい、5年10年くらい環境を変えてもいいかなって思ったんですよね。

 両親も「いつでも帰って来い」と言ってくれましたし、私には帰る場所があるなと。二人は既に他界しましたが、当時はそんな大きな気持ちで行きました。