プロレスのような親子喧嘩も
――結婚されて、最終的には離婚という道を選ばれましたが、結婚生活はいかがでしたか。
武田 楽しかったですよ。すぐに子どもが生まれて、はっきりいって子育て一色でしたね。それに、主人は出張が多くて、ほとんど娘と二人の生活でした。仕事柄というか、アメリカでは、今よりちょっといい仕事とか給料を提示され、ヘッドハンティングされると住む場所も移ったりするんですよ。ですから一時期はニューヨークに3年ほど住んでいたし、その都度、子どもの学校から習い事まで全部変えてね。
――手続きも大変そうです。娘のソフィアさんは、19歳になられたそうですが、子育てはいかがですか。
武田 自分でも、よく私が母親になったなと思います。独身の頃は、自分が子どもをもつイメージがあまり浮かばなかったので。でもね、いざ母親になってみたら、生まれたあかつきには私だけが守らなきゃいけない。なんとか無事に育てあげ、ある程度大きくなったら、絶対事故には遭わせたくない。やけどは作りたくない。傷は作りたくない。あとは明るい子になって欲しいと。
もう習い事もいろんなものをやらせました。最後はバレエとフィギュアスケートをやっていましたが、フィギュアスケートをやっていた7年間は、もう地獄でしたよ(笑)。毎朝4時にリンクまで送って、日曜日も定期的に大会があるんです。バレエは、発表会で「くるみ割り人形」をやるときは、娘を主役にしてほしいがために、私まで一緒にステージに上がって、パーティーシーンのドレスを着て、ノーギャラで踊って(笑)。もう自分のことは二の次、三の次。母親業にどっぷりつかっている期間が長かったですね。
――リハーサル風景から豪華です(笑)。ただ、ソフィアさんが思春期の頃は、母と娘でぶつかり合った日もあったとか。
武田 彼女の生理が始まって2、3年は、もうプロレスかというぐらいの親子喧嘩もしました。それぐらい、こちらも体当たりで向き合ってきたし、変に我慢せずにやってこられたのは良かったのかなって思います。それが今じゃ丸くなっちゃって。「お母さん」って、ご飯までおごってくれたり。「将来は、久美子が住めるような部屋とか家も買ってあげるから大丈夫だって」とか。頼もしいというか、なんというか。「お願いだから、久美子“さん”ぐらいつけて」みたいな感じなんですけれども。