「俺、ガキの頃は不良でね。地元で名前にケンとつく不良が3人いたの。一番体がでかいのがダイケン、真ん中がチューケン、俺は体が小さかったからショーケン、だからそう呼ばれてたんですよ」

 萩原健一さんと取材で最後に会ったのは2009年7月だった。週刊文春の夏の合併号の「時代の主役たちはいま」という企画で、小野寺昭さんや竜雷太さん、露口茂さんら「太陽にほえろ!」のメンバーに話をうかがったのだが、その中のひとりが萩原さんだった。16歳でザ・テンプターズにヴォーカルとして加入し、「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など大ヒットを飛ばし、GSブームのスターだった萩原さん。ショーケンの愛称の由来をたずねると、冒頭のように説明してくれた。ショーケンの破顔はドラマやCMでおなじみの、照れが垣間見えるあの笑顔だ。子供の頃からショーケンにあこがれていた私にとって、仕事とはいえ心が踊った。

萩原健一 ©文藝春秋

 都内にある萩原さん行きつけの喫茶店でインタビュー。ウッド調の内装、薄暗い店内の一番隅っこの席で向かい合う。萩原さんは雑談しながら俳優になった経緯を語ってくれた。

ADVERTISEMENT

岸恵子さんとのラブシーンで……

 ザ・テンプターズ以降、同じくGSのスターだった沢田研二とPYGを結成したが、

「バンド活動も解散寸前だったし、これからどうしようかなあと思って。なにしろ食っていかなきゃならないし。当時はまだ21歳、考えたあげく映画監督になりたいと思ったんです。それで斎藤耕一監督の下で裏方の仕事を始めた。松竹映画『約束』(1972年)のサード助監督で入ったんですけど、主演俳優が降板したから代役やれってなって、結局引き受けることになったんです。その作品の相手役が岸恵子さんで、俺、ラブシーンやったんです。これ話していいかどうかわかんないけど、岸さんの唇に恐る恐る唇を重ねたら、舌が入ってきた。びっくりした。びっくりしたあまりに、目がパッと開くじゃない。演技の場面では、ほんとは目を閉じてなきゃいけないのよ。何度も何度もNG出して、監督にえらい怒られてた。『おまえ、わざとやってるんだろ! 岸さんと何度もキスしたいからだろう!』って。いやあ、困っちゃうよね(笑)」