ソ連大好き声優・上坂すみれさんに聞く「ロシア革命100年」インタビュー。3回連続ロングインタビューの2回目は初めて訪れたサハリンのお話から“ソ連崩壊の年に生まれたという運命”についてまで。ウラー!
(全3回の2回目 #1、#3も公開中)
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受験しながら、ロシアは広くて知らないことがまだまだあるなあって
――大学は上智大学外国語学部ロシア語学科に進まれました。とにかく、ソ連が好きだからここに進学したかった、という感じですか?
上坂 高校3年生になっても春先まで全然進学先が決まっていなかったんです。そんななか、ソ連のことばかり調べて、授業もろくに聞いていなかった私を見かねた担任の先生が「ロシア語学科があるし、ここは公募推薦もしているし」って教えてくださったんです。上智大学はすごく入試が難しくて、特に世界史なんか、とんでもない難しさなんです。ところが、公募推薦だと1.2倍ということなので、これはもしかしたら入れるんじゃないか、と。それで、受験したんです。
――ロシア語が受験科目なわけではないんですよね?
上坂 ロシア語は出ませんが、ロシアに関する問題が何十問か出ました。小論文もあって、これもロシアに関するテーマ。2次試験は面接でした。
――小論文は何を書いたんですか?
上坂 なんだったっけなあ……。すっかり忘れてしまいましたが、頑張って書いたことは覚えています。ロシアに関する何十問もの問題が難しくて、ロシアは広くて知らないことがまだまだあるなあって、思いました。
――在学中に、学業優秀であると大学から表彰をされたそうですね。
上坂 声優のお仕事を本格的に始める前ですから、大学3年生のことだと思います。毎日、真面目にやっていたらいただけたというだけで、特に何かすごいことをしたわけではないんですけど。よく、首席卒業と間違われるんですが、全く違います。それはもう、丁重に訂正させていただきます(笑)。
最後の論文は「労働者・農民赤軍」について
――ちなみに卒論のテーマは?
上坂 それが書けなかったんです。外国語学部は任意提出なので、卒業の条件ではないのですが、4年生になると声優のお仕事も忙しくなってしまって、ついに論をまとめることはありませんでした。最後に書いた論文は3年生の時のゼミ論で、革命前後の労働者・農民赤軍が生まれた経緯と、それがどのように大きくなっていきつつあったのか、みたいなわりとピンポイントのテーマで書いたものでした。
――かなり重厚なテーマですね。
上坂 そうですか? わりとライトだと思うのですが。
――まさにロシア革命について論をものされた、ということですが、革命から100年。上坂さんは、この100年という時間をどのように捉えていますか。
上坂 そうですね……。私は活動の中でもソ連時代の文化を借用したり、影響を受けてやっています。そのこと自体を考えると、ソ連というもの、ソ連文化というものが「表現手段」として受け入れられるようになったのかな、という実感はあるんですね。文化として、消化されるようになったというか。それは、同時にロシア革命によって生まれた「ソビエト連邦」というものが、歴史化されたということでもあるんじゃないかと思います。さっき、亀山郁夫先生と沼野充義先生の対談本を読んでいたら、亀山先生が「ロシアの歴史は二進法である」という言葉がありまして。
――二進法ですか。
上坂 はい。0か1かなんだということですよね。「確かになぁ」って思いました。ロシア革命は皇帝ニコライ2世さえもが殺された暴力革命でもあったわけですけど、ロシアの歴史って、微動だにしない穏やかな時代か、激しい暴力が荒れ狂う時代かの、2つの極端な動きの中で進んでいっている気がします。ロシアという国は大きい国ですから、それくらいのエネルギーが必要なのかもしれませんが、中国の文化大革命などとも違う性質を感じます。まず日本では起こりようのないダイナミズム。