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ロシア革命100年 声優・上坂すみれ「ソ連大好き」インタビュー#2 ソ連崩壊の年に生まれて

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ゴルバチョフ大統領辞任の約1週間前に生まれたという運命

――上坂さんはソ連が崩壊した91年にお生まれになりました。

上坂 はい、ちょうど12月です。

――何か、運命のようなものは感じますか。ソ連との縁というか。

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上坂 感じます。私は1991年12月19日生まれ、ゴルバチョフが大統領を辞任してソ連が崩壊した12月25日の約1週間前の日なんです。なので、私はもしかしたら、いかにしてソ連が滅んでいったのか、その記憶を語り部のように後世に伝えていく役割を担わされた人間なんじゃないかって。ソ連最後の科学者に、記憶チップみたいなものをどこかに埋め込まれているのかもしれない。もうそろそろ、いろいろ思い出してもいい頃なんですけどね(笑)。

――今年、サハリンを初訪問されたそうですが、それも記憶を蘇らせるための一環だったんでしょうか。

上坂 ははは。いえ、イベントに招待されて行きました。今年3月のことです。

ゴルバチョフ(左)、上坂さんが手にしているのはブレジネフ

サハリンで「艦これ」に出会いました

――稚内からフェリーで移動されて。

上坂 それがなんと、羽田から直行便が出てまして。てっきり船旅かと思っていたので、飛行機で行けるとはびっくりしました。

――それは知りませんでした。サハリンはどのあたりに行かれたんですか?

上坂 ユジノサハリンスクです。ショッピングモールで毎年、日本文化を紹介するイベントがありまして、私も参加させていただきました。日本からも何人か遊びに来てくださったんですが、みなさん未踏の地ですから、現地まで何十キロも歩くことになった方がいたり、飛行機を間違えてショーが始まる前に帰らなければならなくなる人がいたり。サハリンの洗礼を受けていました。チェーホフさえもが驚いた地だからなあ、と改めて思ったりしました(笑)。

 

――チェーホフの『サハリン島』を読んでから行ったんですね。すごい。

上坂 いえ、大学のときに読んでいたのですが、まさか訪問する機会に恵まれようとは思いませんでした。『サハリン島』の時代には流刑囚の島として認知されていたわけで、チェーホフも「みんな可哀想」みたいに言ってましたが、今はとても栄えていて、気持ちのいい場所でした。お住まいになっている日本人の方々にもお会いできました。その日本人会の方々がみなさん陽気で、ケーキを作っておもてなしくださったんですが、そのケーキに私が声優を担当している「艦これ」の吹雪が描いてあったんです。サハリンで「艦これ」に出会うなんて、思い出になりました。