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「施食というのは食を施すという意味で、迷える鬼神たちに食べ物を施すことを意味します。ただ、それをあなたたち(鬼神。ここでは憑依した霊)に供養するのではなく、施した食べ物はあなたたちの手で仏・法・僧の三宝に供養しなさい。そうやって功徳を積みなさいということです。そして悟りの道を行きなさい。現世に災いを起こすべからずといったことが書かれています」

 金田住職はこう説いた。

死者との対話、そして儀式

「除霊」の儀式といっても、いきなり祈禱をするわけではないようだ。憑依した霊が語る言葉をひたすら傾聴し、細切れの話に筋道を立ててひとつの物語にすることで、霊が納得できるようにする。生身の人間と同じである。納得しなければ本堂まで歩いてくれない。納得さえしてくれれば、足が重くても本堂にはたどり着く。だから儀式は短くても2時間、長ければ8時間ぐらいかかってしまうのだそうだ。

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 まさしく「傾聴」であり、足が重くても、納得して本堂まで行ってくれれば、あとは「太鼓」「読経」「洒水」といった伝統的な儀式の力で、死者の行くべき世界へ導くという流れである。

 では太鼓、読経、洒水にどんな意味があるのだろうか。金田住職は言う。

「太鼓はリズムをとるためです。ドンドンではなくドドーンドンドン。御神楽がそうですね。聞いているだけで涙が出てきます。日本人の心の奥襞に届いてこびりついたものを剝がすというか、あの力はすごいです。あのリズムで霊を追い出すというイメージです。

 甘露門というのは、鬼を集め、地獄の門を開けるという呪術性のあるお経で、霊がすすむ道を光のシャワーで照らしてくれます。ただ、これで憑依が解けるのは東北だからであって、外国人の前でやってもおそらく無理です。人間は意外にその土地の風土や文化に支えられているんですね。風土や文化を背景に納得させて引きずり出し、その後は伝統的な儀式の力で吹き飛ばす感じでしょうか」

 洒水は、キリスト教でいう聖水のようなイメージだ。そうした水が湧き出る秘密の井戸でもあるのだろうか。すると金田住職は「ああ、それは水道水ですよ」と笑った。

©️iStock.com

「この水はな、栗駒山から汲んできた聖水だぞ、ってかけたんです。水と人との関係って面白いですね」

 聞くたびに、映画「エクソシスト」の場面に似ているように思ってしまう。水や火、音、匂いといったものは、世界中のどの宗教にも共通するのかもしれない。