《キッドの団員というのは、客席に向かって手を突き出したり、泣き叫んだりとか、そういうことを当たり前みたいにやっていたんです。でも、僕はそれってとても恥ずかしいことだと思っていたし、彼らは自分とは違うと思ってた。でもね、オレってカッコいいだろうって感じで舞台に出ても、一分ももたないんです。結局、自分を解き放して、真剣に精一杯やっている人のほうが、カッコいいし、人を感動させるんですよね。それが本当に、体でわかったときから、役者って難しいし、素敵だし、自分自身がドキドキできるものなんだと実感したんです》(※4)
その後、劇団の人気俳優となった柴田は、テレビや映画にも進出する。1981年にはニューヨークのオフブロードウェイの劇場で上演されたロック・ミュージカル『SHIRO』に出演した。このとき、とにかく気負って、全力で演じていたが、1ヵ月公演の最初の1週間で力尽きてしまう。しかし、そのおかげで体の力がフッと抜け、客の反応が初めて見えてきた。そこで客席と舞台というのはどこへ行っても同じだということがわかったという。それ以降、すごく楽になり、気持ちよく舞台に立てるようになった(※5)。
55歳のときに肺がんと診断されて…
その後も俳優としての転機はたびたび訪れた。55歳になった2006年には、初期の肺がんと診断され、摘出手術を受け、しばらく療養生活を送った。がんが見つかったのは、NHKのドラマ『ハゲタカ』の撮影中だった。柴田は制作サイドに対し、代役を立てて仕切り直してほしいと申し出る。しかし、プロデューサーや監督は、復帰まで待っていると言ってくれた。幸い術後の経過もよく、2ヵ月ほどで現場に戻れた。ドラマは翌年、放送されている。
柴田はそれまで、演技をしてカットがかかるたび、「もう1回やらせてほしい」といつも後悔していたという。それが『ハゲタカ』をきっかけに、《どんな芝居をしても「これが柴田恭兵であり、それ以上でも、それ以下でもない。とにかく全部出し切ろう」と思って演じるようになったので、後悔しなくなりました》と語る(※6)。