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 柴田恭兵の代表作といえば、舘ひろしとコンビを組んだ刑事ドラマ『あぶない刑事』をあげる人も多いだろう。1986年に最初のテレビシリーズが放送された同作は、舘の言葉を借りれば、刑事ドラマにつきものだった“悲壮感”を否定し、劇中で人が死んでも、悲しみをジョークで乗り越える作風(※2)で人気を集めた。

 このころ小学生だった筆者も、『あぶデカ』と合わせ、同時期に「関係ないね!」のセリフを発した缶コーヒーのCMから、「柴田恭兵=かっこいい大人」というイメージが刷り込まれ、現在にいたっている。個人的には、80年代の柴田の出演作では、『あぶデカ』よりもNHKで放送されていた『おしゃべり人物伝』という番組の印象が強い。歴史上の偉人たちの生涯を再現ドラマなどを通してたどるこの番組では、柴田が戦前の読売巨人軍のエース・沢村栄治に扮した回があった。

『あぶない刑事 DVD Collection vol.1』(東映ビデオ)

 このとき柴田は、巨人入団前の沢村が日米野球で登板し、ベーブ・ルースなどメジャーリーグの強打者たちから次々と三振を奪った静岡の草薙球場にも訪れている。柴田は同球場にほど近い清水市(現・静岡市清水区)で生まれ育った(父親はいまのJRの草薙駅前で鮮魚店を営んでいたという)。彼自身、少年時代は野球に熱中した。中学のときには野球部のレギュラーとして活躍するが、日大三島高に進学して身長が160センチに満たなかったため、野球を断念する。

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「芝居なんかできなくてもかっこよければいい」

 皮肉にも直後から背が伸び始めた彼は、一転しておしゃれに目覚める。ここから、俳優になってからも続く、かっこよさへのこだわりが生まれた。ただし、もともと俳優になりたかったわけではない。日大を卒業後は輸入衣料の会社に就職し、営業マンとして勤務する。このまま何となくサラリーマンを続けていくと思っていたが、友達の所属していた劇団「東京キッドブラザース」の事務所をたまたま訪ねたところ、思いがけない出来事に遭遇する。そのとき、ちょうどオーディションの最中だった劇団の主宰者で演出家の東由多加から、ぜひ入ってほしいと強く勧められたのだ。自信はまるでなかったが、東に次の公演の主役は「芝居なんかできなくてもかっこよければいいんだ」と言われ、つい乗せられたという(※3)。

 こうして1975年、会社をやめて劇団に入り、初舞台を踏んだ。だが、すぐに、ちょっとしたかっこよさや軽いノリでは観客に感動など与えられないと痛感する。東からスタッフに回らないかとまで言われたが、もう少し役者をやらせてほしいと頼み込む。これに対し東は「じゃあ、泣いてみろ」と要求した。稽古場にひとり立たされ、嘘ではない涙を見せろと言われ、すっかりわけがわからなくなった彼は、そのうちに悔しさで胸がいっぱいになり、ようやく涙がこぼれた。この瞬間、周囲から拍手が起こったとか。後年、当時を振り返って、彼は次のように語っている。