人生の重要な転機
あとから振り返れば、この一戦は父の人生にとって重要な転機でした。このとき、もしすべての状況をしっかり評価するだけの余地を頭に空けていなかったら、何を学ぶ必要があるのか知る機会を逃していたかもしれません。親友のジェイムズとハイタッチを交わし、母を抱きしめ、お祝いの食事に出かけ、華人街の守旧派を撃退したと友人たちに触れ回っていたでしょう。でもそうしていたら、今日、彼の名前を知る人はいなかったのではないでしょうか。私がこの本を書くこともなかったでしょう。
父は勝利を喜ぶ代わりに、この一戦の教訓を土台にした長い個人的な旅を始めます。どんな局面にも対応でき、それを支える体力があり、創造性に富んだ格闘家とはどういうものか。自分から限界を取り去るとはどういうことか。そして、私たちの目的にとっていちばん大事なこと、つまり流動性に富んだ人間とはどういうことかに関心を持ったのです。
流れる水のように前進せよ
決闘後すぐ、父は格闘の物理的実態をつぶさに検討しはじめます。伝統や特定の流派(スタイル)の縛りを外したとき、どんなことが起こりえるかについて。これは武術家人生にとって大きな啓示となり、ジークンドーの始まりでもありました。この新しい旅に取り組む真摯な気持ちの象徴として、父は友人で弟子でもあった金属加工職人のジョージ・リーに協力を求め、あるものの製作を依頼します。
ミニチュアの墓石のスケッチをジョージに送り、 “かつてなめらかだったのに古典的ながらくたを詰め込まれ、ゆがんでしまった男の思い出に”という一節を碑文として刻みつけるよう、父は頼みました。本来の流れるようになめらかな自分を甦らせるには、限定的で柔軟性に欠ける伝統的な取り組みに“死んで”もらう必要がある、という戒めです。流れる水のように前進せよ、とみずからに注意を喚起する装置だったのです。
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