タイトルは派手だけど目玉作品は1、2点のみ。そんな羊頭狗肉な大型企画展もたまに見かけるけれど、これは正反対。京都国立博物館で開催中の特別展覧会「国宝」は、京都のみならず日本中から国宝の実物を集めて展示している。
展示替えがあって4期に分かれているものの、出品総数は200点超にのぼる。そのすべてが国宝というから、ハズレは一切なし。そもそも日本の美術工芸品の国宝物件は900点に満たない。ということは、今展を通覧すれば国宝の4分の1を実見できる。「主要な日本のお宝はほぼ知っている」と自慢したって、さして大げさじゃない。
教科書で見たあの作品、この作品
展示は書跡などを収めた3階の展示室に始まり、各時代の絵画を中心とした2階、染織や金工などハイレベルな日本の工芸がたっぷり見られる1階へと続く。
始まりの部屋「考古」からすでに、惹きつけられる作品があちらこちらに。すでに展示終了になってしまっているのが残念だけど、日本最古の国宝たる新潟県出土の火焔型土器も展示された。自然の観察に発してほどよい抽象化を経て、精神性を宿した秀逸なデザインに落とし込む。日本美の原点はまさにここに凝縮してあると感じさせた。
土偶も迫力ありだ。「仮面の女神」「縄文のビーナス」などと通称がついた自由闊達な形をした像は、想像力とはこう使うのだという古代人からのメッセージだ。
階を降りると、さまざまな時代の絵画の名品が並ぶ。教科書でおなじみ《伝源頼朝像》を美の観点から眺めると、よくよく整った画面の完成度に目を奪われる。衣服をかたちづくる線の流れがおもしろい。全体に抑えた色調のなか、首元にだけ覗く朱の差し色が洒落ている。肖像のモデルが誰なのかと史実は揺れ動いているが、そんなことは二の次に思えてくる。いずれにせよ、ひとかどの人物であっただろうことは強く感じさせる。
長谷川等伯《松林図屏風》は桃山時代の、いや日本の近世絵画を代表する作品。消え入らんばかりにおぼろげな松の木がところどころに描かれ、余白がたっぷり取られている。画面から意味を読み取ろうとしても無駄である。ただただ、画面の内外に漂う清くて湿った空気を味わえばいい。
いつの時代も日本の絵師のお手本であり続けた中国絵画もある。牧谿(もっけい)《観音猿鶴図》は、三幅の画面にそれぞれ観音、猿の親子、鶴を配する。観音像のシルエットや衣服のたおやかさ、猿と鶴で描き分けられた毛並みをとくと眺めておきたい。
和紙や絹織物が放散する日本の美
1階まで降りてくると、工芸や手仕事の成果がたくさん見られる。日本文化の細やかさと器用さ、美に対する根気がどの作品からもよく伝わる。
《小葵浮線綾文様衵(こあおいふせんりょうもんようあこめ》は、熊野速玉大社の宝として受け継がれてきた装束。絹織物が黄金色に輝き、パターン化された文様は布の上で美しいリズムを刻む。日本では古来、デザインに対する高い意識が維持され受け継がれてきたのだと知れる。
どの出品作もモノとしての存在感が強大なので、誰しもその圧力にやられてヘトヘトになってしまうのは間違いない。最後まで気力を保って観ることができたら、自分のことを大いに褒めてやっていい。
展示が4期に分けられ、つど展示替えがおこなわれることにも注意を。長期間展示できない作品が多いのは、日本美術の特質。和紙や絹など、光や埃、温度湿度の変化に極めて弱いものでできていることが多いので、長く展示室に出しておくことが叶わないのだ。決してケチなわけではなく、作品を未来へ受け継いでいくための処置なのだから、ここは寛大な気持ちを保っておこう。