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2021/09/03

モノローグの男

 胸板の厚いマッチョな男性は、40代半ばという脂の乗り切った年齢だった。彼の経営するベンチャー企業は順調に成長していたし、多くの友人に囲まれ、家族にも恵まれていた。彼は熱心にジムに通い、筋肉を鍛え上げていた。申し分のない人生のように見えた。だけど、「誤魔化しながらやってきたけど、自分はうつだと思う」と彼は訴えていた。

 詳しく話を聴くと、彼のエネルギッシュな生活には、まだらのようなうつがあった。一日のうちの1、2時間、頭がぼんやりして何も考えられなくなることがしばしばあって、ひどい時期には数日にわたって、動けなくなってしまうこともあった。そういうとき、「ほっといてくれたら回復するから」と家族や社員に説明し、彼は自室に閉じこもった。あらゆる連絡を絶った。

 それが最近ひどくなっている、そう語る彼の語り口がきわめて明晰なのが印象的だった。自分でもよくわからない苦しさについての話なのに、彼は自分の状態と心のメカニズムを理路整然と語っていたのだ。まるで商談のプレゼンのようだった。

©️文藝春秋

 カウンセリングが始まると、彼は経営、パートナーシップ、子育て、社交、そして筋トレのあらゆることについて、緻密な戦略を立て、目標を達成してきたことを語った。だから、うつも克服できるはずだと言っていた。語り口は明晰だったし、ユーモアもあった。それなのに、私には、語られる言葉たちがひどく空虚であるように感じられた。それは一人で考え、一人で結論を出すモノローグであったからだ。私は彼の筋トレ動画を見せられている視聴者のようだった。「自分はすべてわかっている」結局のところ、彼の明晰な言葉たちが私に伝えていたメッセージはそれだけだったのだ。彼自身はそういう話ができる面接に満足しているようだったが、まだら状のうつは良くなっている気配はなかった。行き詰まっている、と私は感じていた。

 だけど、ある回、彼は夢を語った。「ジムのロッカーに閉じ込められていて、叫ぼうとしても声が出せなかった」夢の中とはいえ、苦しんでいる彼が語られるのは珍しかった。「なんて叫ぼうとしていたんですか?」彼は即座に返答できず、言葉を失った。それも明晰な彼には珍しいことだった。そして、ひどく恥ずかしそうに「……わかりません」と呻いた。

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