タレントの伊集院光は、きょう11月7日が誕生日で50歳になった。テレビでもクイズ番組などでおなじみだが、古くからのファンには、やはりラジオパーソナリティーとしての伊集院を支持する向きが多いだろう。

©杉山秀樹/文藝春秋

 高校中退後、三遊亭楽太郎(現・円楽)のもとで落語家修業をしていたが、1987(昭和62)年、師匠には内緒でニッポン放送のオーディションを受けて合格、「伊集院光」の芸名でラジオデビューする。同局では『オールナイトニッポン』『Oh!デカナイト』を担当し、20代にして人気パーソナリティーとなった。しかし当時の同局のディレクターは厳しく、生放送中にダメ出しされることもしょっちゅうであったという。やはり同じディレクターにしごかれたミュージシャンの大槻ケンヂが、最近伊集院の番組にゲスト出演したときには、互いに「あれを青春時代と呼ぶのだろう」と当時を振り返っていた。

 1995年にはTBSラジオで深夜番組『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』がスタートし、現在も続く。同局では昨年4月より、30年続いた平日午前中の帯番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』の終了を受け、『伊集院光とらじおと』も始めた。伊集院はこの番組名にした理由を、「僕の中から出てくるもので勝負するというより、いろんな人“と”やっていくうえでの化学反応を大切にしたいと思ったから」と語っている。いわく40代は、BSの番組『伊集院光のてれび』や書籍『のはなし』など、“の”にこだわり、自分のやることが世間にどれくらい通用するか試してきた。これに対し50代の『伊集院光とらじおと』では、深夜ラジオからのリスナーと午前中のリスナー、ゲストとスタッフと自分と、全員が楽しいものをつくろうと思っているという(『ケトル』VOL.39)。

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『伊集院光とらじおと』の放送は月曜~木曜と、帯番組としてはやや変則的だ。これは、伊集院が週末にどこかへ出かけたり、何かをしたりする時間を確保するためらしい。以前より、彼は地方へ出かけては、そこでの体験を『深夜の馬鹿力』でたっぷり話すことも多かった。あるときなど、フリーマーケットで見つけた戦時中の未配達の郵便物を、そこに書かれた宛先まで届けに行ったこともある。そんな伊集院のトークから思い出すのは、TBSラジオの番組の大先輩にあたる永六輔が、民俗学者の宮本常一から言われた「電波が届いている先に行き、そこで考え、スタジオに帰ってきて話をしなさい」という言葉だ。これを胸に刻み、実践し続けた永と、現在の伊集院はどこか重なる。いまやラジオはネットを通じて、各放送局のエリア外でも聴けるようになった。伊集院の“と”は今後ますます広がっていくに違いない。