ご懸念の始まりは3月から
陛下も軽々に判断されたわけではなかったという。この発言にいたるまでには、6月よりもっと前からの長い前段があったようだ。
世間では、菅政権への「後手後手」批判が昨秋来続いているが、天皇陛下が日本のコロナ対策に危機感を抱いていることが周囲に伝わったのは、今年3月下旬のことだったという。
3月21日、首都圏の1都3県では、およそ2カ月半にわたった2回目の緊急事態宣言が解除された。3月20日の東京都の新規感染者数は342人。解除前から夜間の滞留人口は増え続けていたことから、リバウンドが大きくなることは想定内だといわれた。
その頃、両陛下はニュースの中で、街の様子を真剣にご覧になっていたという。政府が飲食店の営業時間短縮要請を緩和したこともあり、夜まで外出する若い人たちは多かった。映像には、春休みに入った学生らで溢れ返る街の様子が映し出されていたという。
陛下は、オリンピックが本当に有観客で行えるのかをご心配されていたようだ。
「この時点(3月)で、オリンピック開催までに、3回目の緊急事態宣言を出さざるを得なくなるのではないかとか、宣言下でのオリンピック開催の可能性もあるかもしれないとおっしゃっていたそうです。宮内庁長官や関係者らに政府の対応や動きを頻繁に確認なさっていました」(政府関係者)
ちょうど観客の扱いについての議論が始まったころだった。3月20日には、日本政府、東京都、組織委員会、IOC、IPCによる5者協議が開かれ、海外観客の受け入れ断念が決定。だが、国内観客の方向性については先送りされていた。
4月の内奏での違和感
4月20日午前10時30分、陛下は皇居・宮殿「鳳凰の間」で、菅首相から約20分の「内奏」を受けられた。国内外の情勢を報告する内奏の内容は、「天皇の政治利用につながる」ことから公表されない。
2人は、鳳凰の間に2脚だけ置かれた椅子に腰かけ、小さな丸いテーブルを挟みながら言葉を交わされた。
「菅総理は、この日午後の衆院本会議に出席し、東京五輪・パラリンピック開催について『人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として実現する決意に何ら変わりはない』と述べています」(政治部記者)