『シン・ゴジラ』が大ヒットした。総監督は『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)の庵野秀明。観客動員数は400万人を突破し、興行収入は70億円を超えたという。客層の幅広さ、反響の大きさからして充分「国民映画」の域に達したと言ってよい。
成功の理由は何か。日本伝統の得意技を使ったからだろう。世界を重ねて、その世界に思い当たる観客を喜ばすやり方だ。歌舞伎や文楽の常套手段。『仮名手本忠臣蔵』なら『太平記』の世界と赤穂浪士の世界を、『東海道四谷怪談』なら忠臣蔵の世界にお岩さんの怪談話を重ねる。そうやって世界の重ね方を楽しむ。分かる観客は勝手に考え面白がる。想念を暴走させ、深読みもしてくれる。
第1作を巧みに本歌取り
『シン・ゴジラ』は具体的にどんな世界を重ねているか。まず土台を成す世界は1954年の本多猪四郎監督作品『ゴジラ』。「ゴジラ映画」の第1作にして傑作中の傑作。そこでゴジラは、伊豆諸島の架空の島、大戸島に初めて現れる。島に伝わる海の祟り神、ゴジラの物語に基づき、そのまま命名される。島への上陸時に全身が放射能で汚染されているとも分かる。自衛隊(映画では防衛隊と呼称)の攻撃をものともせず、東京湾に侵入。品川区あたりに上陸し、ひと暴れし、いったん海に戻る。政府はゴジラ撃退を自衛隊よりも電力会社に期待し、東京電力と思しき企業が東京湾沿岸に電線を張り巡らして高圧電流で感電死させようとする。再上陸したゴジラは予定通り感電。関係者は一瞬「やった!」と思う。ところが死なない。逃げさえしない。激怒する。口から高濃度の放射性物質を含んだ高熱のガスを吐き始める。このとき人々はゴジラのとてつもなさを初めて思い知る。未知の怪物だから、映画の中の人々はゴジラが口から放射能を出せるなんて誰も知らない。破壊力が想定外。東京を燃やし壊して都民は被曝。ゴジラが「水爆大怪獣」と呼称された所以である。
作品の背景には1954年の現実がある。広島と長崎から9年後。同年春に米国が太平洋のビキニ環礁で水爆実験を成功させ、日本のマグロ漁船、第五福竜丸が巻き添えを食って被爆。通信士の久保山愛吉が死亡した。『ゴジラ』はその直後の公開。映画の中では国名こそ名指しされないが、ゴジラは明らかに米国の水爆の犠牲者だ。それが米国でなくて日本を攻撃してくる。日米安全保障条約のせいで日本が米国の行う核戦争の巻き添えになるという議論は当時から喧しかった。そういう含みがあるとも取れる。
とにかくゴジラは霞ヶ関や永田町を破壊し、官僚も警察も自衛隊も争って退却。焦土と化した東京は3度目のゴジラ上陸に脅える。そこに現れるのは、オキシジェン・デストロイヤーなる最終兵器を極秘に開発していた、平田昭彦演じる在野の科学者、芹沢博士。日本は国の存亡を、番外の異端者に懸けるしかない。ゴジラは疲れたのか、東京湾底でじっとしている。芹沢博士の「最終作戦」が発動する。
『シン・ゴジラ』のゴジラはどうか。大戸島のくだりを飛び越え、いきなり東京湾内に出現する。しかし、架空の島、大戸島は『シン・ゴジラ』の世界にも存在し、ゴジラの言い伝えもある。そのうえ『シン・ゴジラ』は、第1作で用いられた「ドシン! ドシン!」と地鳴りのするようなゴジラの足音も使う。また、『シン・ゴジラ』の音楽担当は、庵野秀明と『エヴァ』以来のコンビの鷺巣詩郎で、彼がオリジナル楽曲をたくさん作っているのだが、それだけでなく、第1作以来おなじみの伊福部昭の音楽を随所で引用する。そのようにして『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』の世界が重なる。
『シン・ゴジラ』は『ゴジラ』と、怪獣の1度目の上陸が東京23区の南西部に限定され、2度目で都心まで入ってくるところも同じ。2度目に大きなカタストロフが待ち構えているのまで同じ。『シン・ゴジラ』で第1作の東京電力の役割を果たすのは米軍だ。自衛隊はゴジラの前に敗れる。頼りは日米安保。米軍機が霞ヶ関界隈に向かってくるゴジラに破壊力満点の地下貫通弾を命中させる。ゴジラは傷つき血を流す。倒れるか。そうではない。ついに激怒する。