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 花森の親族が明かす。

「弘卓が生まれた時、父親はすでにかなり高齢でした。それもあって弘卓はすごく大事に育てられていました。その両親が亡くなってからは弘卓の伯父が後見人として面倒を見るようになりました。月1回くらいは弘卓の家へ様子を見に行っていたみたいですが、もう少し深い関係が作れていればこんな事件を起こさなかったのかもしれません……」

花森容疑者が1人で住んでいた一軒家 Ⓒ文藝春秋

 琉球大学を退学して地元静岡で1人で暮らすようになって以降、花森はどんな生活を送っていたのだろうか。

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「いやー彼女作るのは無理だと思う」

 花森が2年ほど前から定期的に訪れていたという喫茶店の店主の女性は「優しい子です……」と言葉を詰まらせる。

「2年前くらいにふらっと店に来て、そこから月2回くらい来てくれるようになりました。窓際のテレビが見える席がお気に入りで、いつもアイスコーヒーを飲んでいましたね。訪れるのは決まって昼過ぎで、いつも1人でした。アメリカの友達がコーヒー豆を送ってくれたことがあったようで『たくさんもらったから、他のお客さんにも出してください』とコーヒー豆をお裾分けしてくれました。優しい子、という印象でした。

 恋愛話になった時に、こんなおばさんばかりの喫茶店に来てないで彼女を作りなよって言ったら『いやー彼女作るのは無理だと思う。僕の彼女は宇宙人しかいないかな』って冗談のような本気のような雰囲気で言っていました」

事件当日の朝に掃除をしていたガレージ Ⓒ文藝春秋

 花森容疑者が白金高輪駅で硫酸事件を起こしたのは8月24日の21時頃。最後に来店したのは、5日前の19日だったという。

「19日の15時くらいですかね。その日は、他のお客さんとカブトムシの話をしていて『育てていたカブトムシが2万円で売れたんです!』とすごく嬉しそうに話していました。普段は無口であれほど饒舌に話す姿は初めて見たので、自分の好きなことだとあんな顔もするのかと驚きました。他のお客さんに自分から積極的に話しかけるタイプではなかったですが、将来の夢を語っていたこともありますよ。専門的な話は難しくてさっぱり分かりませんでしたが、将来研究員や教授になるために大学で勉強を頑張っているようでした。『僕はサラリーマンは向いてないし、日本では自分のスキルや知識を活かせないから海外でやりたい』とアメリカや中国で働くことも考えていたようです」(同前)