宮内庁では“駆け落ち婚”に投げやりな声も

「秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。

 江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」

ハイキングコースを散策される秋篠宮ご夫妻と悠仁さま(2019年8月20日、ブータン・ティンプー) ©時事通信社

 宮内庁関係者はこう語る。

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 当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。

「大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと)親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。

眞子さまブラジル訪問よりご帰国(成田空港) ©JMPA
悠仁さま 宮内庁提供

 御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)

乃木希典 ©getty

 ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。

超国家主義的な思想教育を危惧したマッカーサー

「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。

マッカーサーと昭和天皇 ©文藝春秋

 終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)