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慶應義塾の塾長・小泉信三が説いた「帝王学」

 これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。

「学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。

小泉信三 ©文藝春秋

秋篠宮さまは「私自身はその立場ではありません」

 また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)

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当時皇太子だった天皇陛下は2010年、50歳の誕生日に際しての会見で、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら。世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」と発言されていた (宮内庁提供)

 悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。

「秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。

2014年の誕生日会見で秋篠宮は「天皇のあり方についてと、悠仁さまにどのように伝えていくか」という記者からの質問に、「天皇の在り方についてというのは、私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど、恐らくそれは陛下も天皇に即位して、そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、やはり、象徴としての天皇というのは、いかなるものがふさわしいのかということを考える、そういうことにあるのではないかと思いますし、長男にどのように伝えるかということについては、やはり私自身はその立場ではありませんので、陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります」と答えられていた (宮内庁提供)

「やはり特別な教育係を置いた帝王教育を」

 これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)

 明治期以降、天皇は学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。

 年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。

年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある(宮内庁提供)