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秋山幸二、柴原洋、内川聖一…歴代の“背番号1”に見るホークスのレジェンドたち

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/28
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ホークスの背番号「1」がリーダーという印象をつけた人物

 ドン・ブレイザー……1967年から1969年の3年間背番号「1」をつけたのが、ドン・ブレイザー氏です。選手としても活躍されますが、引退後も日本のプロ野球に大きな貢献をされた方です。野村克也氏が選手兼任監督となった際に挙げた条件がブレイザーのヘッドコーチ就任だったほど、当時の日本にはない考えを持ち込んでくださった方です。野村克也氏が 「考える野球を教えてくれた恩人」「自分のID野球の源流はブレイザーにある」との言葉から、大きな影響を受けた方だとわかります。 選手・コーチ・監督として15年間日本の様々なチームで活動されます。1981年と1982年には南海ホークスの監督を務められました。 日本プロ野球の発展に大きく貢献された方であることは間違いないでしょう。

 秋山幸二……ホークスの背番号「1」と言われて秋山幸二氏が思い浮かぶ方も多いと思います。高い身体能力と努力で西武黄金時代の中心選手として活躍。1994年にダイエーホークスへ移籍後はホークスが常勝軍団になるための礎を築かれました。その後のホークスを引っ張られた小久保裕紀さんや松中信彦さんなどの後輩達に大きな影響を与えました。 引退後はコーチ、監督として現在のチームの中心選手達を育成され、リーグ優勝3回、日本一2回へ導きました。 西武時代からつけている背番号「1」は代名詞といっても過言ではないでしょう。 ホークスの背番号1がリーダーという印象をつけたのは秋山幸二氏の影響が大きいと思います。 今回紹介させていただいた以外にも南海初の外国人打者であるバディ・ピート氏や広島の監督として4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた古葉竹識氏など 様々なタイプの選手が背番号「1」をつけてきました。 ホークスだけでなくプロ野球全体に影響を与えたり、他球団でも活躍された方も多いと感じました。

 秋山幸二氏以降では外野のレギュラーとして活躍された柴原洋氏、そして横浜から移籍後、主将としてチームを牽引した内川聖一選手へとバトンは渡ってきました。 1つの背番号を遡るだけで球団全体の歴史をみることができ、とても勉強になったと同時に、よりホークスを好きになれました。そして過去の偉大な先人方を知ることで、今まで築 かれてきた伝統への尊敬と感謝を改めて実感することができました。

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 次に背番号「1」をつける選手は誰になるでしょうか。

 栗原選手や上林選手、リチャード選手、三森選手、周東選手など ホークスも既に世代交代が始まっています。個人的には栗原選手か上林選手がもっと成長してつけてほしいです。 次世代を担う選手達とホークスの未来がとても楽しみになりました。

名前解説 ©原愛梨

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