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「最年長記録はまたつくれる」50歳で2つの金メダル、杉浦佳子の原動力になった“燃える気質”とは

「アスリートっぽくないですね」と声をかけると…

2021/09/07
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 9月5日、東京2020パラリンピックが幕を閉じた。前回のリオデジャネイロ大会では金メダルがゼロだった日本選手団は、金13個を含む合計51個のメダルを獲得した。

 今大会、たくさんの日本人メダリストが誕生したなかで、杉浦佳子(50)の活躍は目を引くものがあった。

9月3日、自転車のロード・トライアルで2つ目の金メダルを獲得した ©AFLO

「もともとただの薬剤師なんで」

 自転車のロード・タイムトライアルで2位に大差をつけて優勝し、日本史上最高齢のパラリンピック金メダリストに。レース直後にマイクを向けられ「最年少記録は二度とつくれないけど、最年長記録はまたつくれる」と豪語すると、3日後に行われたロードレースで2つ目の金メダルを獲得。つくりたての記録を実際に更新してみせた。

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 大会の3週間ほど前にインタビューしたとき、杉浦は笑っていた。メダルを獲れる自信はないから先に謝りたいと話す彼女に「アスリートっぽくないですね」と声をかけると、こう言った。

「そうなんですよ。もともとただの薬剤師なんで」

 だが、杉浦の経歴を振り返れば、おそらく「ただの薬剤師」ではなかった。

 トライアスロンの練習のために参加した自転車ロードレースの大会で命にかかわる大事故に遭ったのが2016年。そこに至るまでの人生はすでに波乱含みだった。

©杉山秀樹/文藝春秋

競技者としての素地は、事故前から積んでいた鍛錬の賜物

 大学入学後すぐに、妊娠・出産を経験して退学。それでも薬剤師の夢を捨てきれず、子育てをしながら勉強に取り組み、別の大学に進学を果たした。

 卒業後に就職した中堅薬局では、意欲的に仕事をこなすうち役職を次々に与えられ、ついに常務取締役にまでなったという。

 趣味のトライアスロンに向き合う姿勢も、生半可ではなかった。ホビーレーサー向けの世界選手権出場を目標に掲げ、練習を重ねていた。

 事故で負った高次脳機能障害、右半身の機能障害と闘いながらパラリンピック2冠にまで上り詰めた競技者としての素地は、事故前から積んでいた鍛錬の賜物だったのだろう。